徳島県海部郡海南町平井字保勢付近には、「母子の墓」と呼ばれる場所が存在する。この墓には、江戸時代に悲劇的な最期を遂げた母子の無念が刻まれており、その怨念は今なお地元に語り継がれている。今回は、母子の墓にまつわるウワサの心霊話を紹介する。
母子の墓とは?

母子の墓は、保瀬部落においてお杉という女性とその娘(または、場合によっては吾子と伝えられる)が悲劇的な最期を遂げた後、その怨念を鎮めるために建立された墓である。
伝承によれば、江戸時代の天保年間に、木沢村から保瀬部落に嫁いできたお杉は、村の権力者である矢八の邪恋により、部落内で疎外され、過酷な迫害に苦しんだ。
絶望の中、お杉は愛する吾子の頭に鍬を振り下ろし殺害し、その後、娘のお玉と共に呪詛の言葉を残して吾子の遺体を抱き、海部川へと身を投じたと伝えられている。
お杉が残した呪いの言葉は、「保瀬は野となれ、山となれ。我死後50年にして保瀬を潰滅させる。
そして100年は人が住めぬ様にしてやる」というものであり、この呪いが50年後の保瀬大崩壊(1892年7月25日)を引き起こし、部落全体が一瞬にして消滅したとされる。
村の古老たちは、この母子の怨念が未だに解消されておらず、後世にわたって恐るべき怪奇現象を引き起こしていると信じ、母子の墓を建立して彼女たちを弔ったのである。
母子の墓の心霊現象
母子の墓の心霊現象は、
- 命日である7月25日、保瀬の川辺に母子の幽霊が現れる
- 幽霊はしばらくすると、二つの火の玉に変わり、山中へ向かってユラユラと消えていく
- 風に乗って、お杉が残した呪詛の言葉が囁かれる
- その周辺には、悲劇の怨念が漂い、訪れる者に不気味な冷気と絶望感を与える
である。以下、これらの怪異について記述する。
まず、7月25日の命日になると、保瀬の川辺において、かつて悲劇を遂げたお杉とお玉の姿が現れるとの目撃談が多数ある。
夜の闇の中、静まり返った川辺に一瞬、白い影が浮かび上がり、母子の佇む姿が確認される。
これを目撃した者は、急激な寒気とともに、まるで絶え間なく続く悲哀が心を打つような感覚に襲われたと語るのである。
次に、幽霊が現れてしばらくすると、その姿はゆっくりと二つの火の玉に変わり、山中へと浮遊するように消え去るとされる。
この現象は、まるでお杉の復讐の炎が大地に燃え上がり、未だに部落を呪縛しているかのような印象を与える。
火の玉は、時折激しく揺れ動きながら、夜空に浮かぶかのように現れ、その光景は見る者に計り知れない恐怖を抱かせるのである。
また、現場付近では、風が吹くたびに、かすかに「保瀬は野となれ、山となれ」といった呪詛の言葉が囁かれるとの報告もある。
これらの言葉は、お杉が残したとされる呪いの断片であり、風に乗って広がることで、訪れる者に圧倒的な不安感を与える。
さらに、墓の周囲には、かつての大崩壊によって失われた命の哀しみと怒りが、空気中に漂っているとされ、夜間に歩くとその不気味な空気に包まれ、精神が乱されるという体験談がある。
訪問者は、墓地に近づくにつれて、どこかしらの冷気と重苦しい雰囲気を感じ、逃げ出すような衝動に駆られることもしばしば報告されるのである。
母子の墓の心霊体験談
実際に母子の墓を訪れた者の中には、7月25日の夜、保瀬の川辺に母子の幽霊を目撃したという証言がある。
ある古老は、若い頃に墓参りに訪れた際、霧深い夜空の下で、かすかに現れる母子の影を目撃し、その瞬間、体全体に冷たい恐怖が走ったと証言している。
また、別の訪問者は、墓地付近で歩いていると、突然風に乗って呪詛の言葉が耳元で囁かれ、慌てて振り返ったものの、そこには誰もいなかったという。
これらの体験談は、単なる作り話ではなく、地元に根付いた伝承として確実に語り継がれている事実である。
母子の墓の心霊考察
以上の心霊現象および体験談は、保瀬部落におけるお杉とお玉の悲劇的な最期と、そこから発生した強烈な怨念が具現化した結果であると考えられる。
お杉が自らの手で愛しき吾子(または娘)を殺害し、復讐と呪詛の言葉を残したことは、単なる個人の悲劇に留まらず、部落全体に恐るべき影響を及ぼした。
実際、1892年の保瀬大崩壊は、その呪いの予告通り、部落を一瞬にして消滅させる大災害となった。
この事実から、母子の墓に宿る怨念は、未だに清められることなく、毎年命日に再びその恐怖を現す原動力となっていると解釈できる。
母子の幽霊が現れ、火の玉となって消失する現象は、お杉の復讐心と未練が天に昇り、自然現象と融合した結果であり、また、風に乗って囁かれる呪詛の言葉は、彼女の激しい怒りと哀しみが永劫に続く証左である。
総じて、母子の墓は、単なる墓所としての機能を超え、過去の悲劇と怨念が具体的な形となって現れた心霊スポットとして、訪れる者に深い恐怖と不安を与える存在である。
訪問する際は、先人たちの哀しみと怒りに敬意を払い、慎重な行動が求められるのである。
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