福岡県北九州市門司区にある風師山は、美しい夜景スポットとして知られる一方、かつての土砂災害や霊道の噂が残る心霊スポットでもある。今回は、風師山にまつわるウワサの心霊話を紹介する。
風師山とは?

風師山(かざしやま)は、福岡県北九州市門司区小森江にある標高362メートルの山である。
九州最北端を形成する企救半島の一角に位置し、企救山地の主要な峰の一つとして知られている。
風頭岩峰・風師山・風師南峰の三峰から構成され、戸ノ上山、足立山とあわせて「企救三山」と呼ばれている。
山頂からは関門海峡や門司港、さらに対岸の下関市街までもが一望できる絶景スポットであり、夜景を楽しむドライブコースやデートスポットとしても知られる場所である。
しかし、その美しさとは裏腹に、古くから不可解な出来事や恐ろしいウワサが絶えない“霊の通り道”としても密かに語られてきた。
1953年の西日本大水害では山腹が大規模に崩壊し、土石流によりふもとの一帯に甚大な被害をもたらした歴史もある。
その悲劇の記憶と共に、現在でも奇妙な現象が相次いで報告されている。
風師山の心霊現象
風師山の心霊現象は、
- 鬼の形相をした男の霊が現れ、車を追いかけてくる
- 誰もいない駐車場に強烈な気配を感じる
- 夜間、展望台周辺で少年の霊を目撃するという話
- 城山霊園から矢筈山を経て風師山に通じる霊道の存在
である。以下、これらの怪異について記述する。
鬼の形相をした男の霊
風師山に向かうクネクネと曲がりくねった山道。
その途中、後方のバックミラーに突如として映る“鬼のような形相”をした男の霊。
車のスピードに合わせて異常な速度で追いかけてくるという。
顔には明確な憎悪が浮かび、ただならぬ怨念を放っている。
霊感が強くなくても、存在に気づいてしまうほどの“圧”があるという。
誰もいない駐車場の異常な静けさ
土曜の夜であっても、風師山の駐車場には他に一台の車も停まっていないことがある。
人気のデートスポットでありながら、まるで結界にでも包まれているかのように人の気配が消えることがあり、その場にいるだけで不自然な寒気と不安感に襲われる。
展望台周辺に現れる少年の霊
静かに夜景を眺めるカップルの前に、誰にも気づかれずに現れる少年の霊の姿。
彼は声を発することなく、遠くを見つめ続けているといい、存在に気づいた人間と目が合うと突然消えてしまうという。
霊道の存在
城山霊園から矢筈山を経由し、風師山に至るルートに「霊道」が通っているという噂がある。
道を知る者の間では、これを“通ってはならない夜の道”と呼び、深夜の通行を強く避けるよう警告されている。
風師山の心霊体験談
今から20年以上前、19歳の時に実際に起こった体験談である。
久しぶりに地元に戻った筆者は、友人カップルとその知人と共に風師山へドライブへ向かった。
時間は夕暮れ時から夜にかけて。数々の夜景スポットを巡った後、最後に選ばれたのが風師山の展望駐車場であった。
到着した瞬間、違和感があった。人気のスポットでありながら、周囲には他の車が一台も見当たらなかったのである。
まるで“何か”に拒まれているかのような静寂が辺りを支配していた。
不穏な空気の中、山を下っている最中にそれは起きた。
バックミラーに映った“鬼の形相”をした男が、ありえない速度で車を追いかけてきたのである。
走行する車に追いつくどころか、襲いかかってくる勢いで迫ってくるその姿は、もはや人間のものではなかった。
ようやく突き当たりが見えた時、右側の窓にベッタリと貼りつくように現れたその顔。こちらを憎しみに満ちた目で睨みつけ、ただ一言——
「次に来たら殺す」
鳥居を越えた途端、その気配は途絶えたという。
振り返ると、鳥居の下で男の霊が仁王立ちしていた。
その存在は鳥居の外に出ることができない“何か”に縛られているかのようであった。
以来、体験者は二度と風師山に足を運ぶことはなかったという。
風師山の心霊考察
風師山で目撃される霊の存在には、いくつかの共通点がある。ひとつは、“怒り”や“怨念”をまとった表情をしているという点である。
これは、単なる残留思念ではなく、強い感情によって山に縛られた“地縛霊”である可能性が高い。
また、霊道とされるライン上に位置していることも、この地が霊的に“通り道”になっている証である。
特に鳥居の存在が霊の行動範囲を制限している様子から、古来の信仰的な結界の役割が今なお有効であることを物語っている。
加えて、展望台で目撃される少年の霊は、怒りを持つ者とは違い、静かに佇む印象が強い。
この違いからも、風師山には複数の霊が存在し、それぞれ異なる背景を持つ可能性がある。
“次に来たら殺す”という言葉は、単なる警告ではなく、“ここにこれ以上近づくな”という強烈な意思表示である。
風師山を訪れる者は、軽い気持ちで踏み入れてはならない場所だと肝に銘じるべきである。
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