鹿児島県志布志市にある廃墟「志布志パラダイス」には、女性の霊や呪われたフランス人形、影の数が増える現象など、数多くの心霊のウワサが存在する。今回は、志布志パラダイスにまつわるウワサの心霊話を紹介する。
志布志パラダイスとは?

志布志パラダイスは、鹿児島県志布志市志布志町に位置する、大型ドライブイン跡地である。
国道220号線沿いにあり、南国リゾートを思わせる鉄筋2階建て(一部3階建て)の豪奢な建築だった。
内部には宴会場や舞台付き大広間、そして左手には「ロイヤルパラダイス」と呼ばれる別館が併設されていた。
開業は1976年から1979年の間とされ、前身となる施設が存在した形跡もある。2000年頃には営業を終え、その後は廃墟として放置されたままとなった。
2006年時点ですでに廃墟として認知されており、2007年には志布志市議会で撤去を求める声が上がるほどだった。
建物は老朽化が進み、外壁は汚れ、ガラスは破損し、屋根は崩落。「ロイヤルパラダイス」の2階部分には植物が繁茂し、まるで廃墟に変じた植物園のような光景が広がっている。
現在、敷地内には工事事務所が設置されており、今後取り壊される可能性があるという。
志布志パラダイスの心霊現象
志布志パラダイスの心霊現象は、
- 女性の霊が現れる
- フランス人形を見ると呪われる
- 懐中電灯で照らすと「影の数」が増える
- 地下通路に霊が出る
- 廃墟で自殺が多発しているという噂
である。以下、これらの怪異について記述する。
女性の霊が現れる
廃墟となった館の奥で、白い服を着た女性の霊が現れると噂されている。
目撃者によれば、ホールの鏡越しに背後に立つ彼女を見た直後、強い頭痛に襲われるのだという。
誰もいないはずの建物内で感じる視線や、ふと振り返ったときに見える黒髪の影は、すでにこの世のものではないのかもしれない。
フランス人形を見ると呪われる
建物の最奥部、使われなくなった小部屋に、ボロボロになったフランス人形が祀られているという。
目を合わせてしまった者は、不自然な事故に遭った、精神的に不安定になった、などの報告がある。
その人形はなぜそこにあるのか、誰が置いたのか、まったくわかっていない。
ただ一つ確かなのは、「見つけてしまったら終わり」ということである。
懐中電灯で照らすと影の数が増える
探索者の間で最も有名な噂が、「影が増える」という怪異である。
懐中電灯を持ち、仲間3人で探索していたある者が、ふと足元に映った影を見て異変に気づく。「4人いる」のである。
誰もいないはずなのに、明らかに余計な影がそこに立っている。
そしてその瞬間、誰かの背中に手が触れた気配を感じたという。
地下通路に霊が出る
志布志パラダイスの建物から、国道の下を通って海岸へ抜ける地下通路が存在する。
現在では水没しており立ち入りは困難だが、この通路でも霊の目撃談がある。
水音が反響する真っ暗なトンネルの奥から「誰かのすすり泣く声」が聞こえるという報告があり、近づこうとすると急に電灯が切れ、出口がわからなくなるケースもあるという。
廃墟で自殺が多発しているという噂
廃墟化してからというもの、この場所での自殺が絶えないという噂が絶えない。
車内での練炭自殺、廃墟内での首吊りなど、地元の人々は語りたがらないが、陰では「呪われた場所」と呼ばれている。
いずれも公式な記録や報道は確認されていないが、現地の雰囲気は異常なほど重く、足を踏み入れるだけで頭が痛くなるという声もある。
志布志パラダイスの心霊体験談
実際に訪れた者の話によると、内部に入った瞬間から空気が異常に重くなり、胸の圧迫感に耐えられず、わずか数分で外へ逃げ出したという。
懐中電灯で天井を照らした際、梁の上に何かがぶら下がっているように見えたが、照らし直すと何もなかった。
また、別の探索者は、フランス人形の部屋に近づいたとたん、急に携帯の電源が落ち、再起動後には写真フォルダに真っ黒な写真が10枚以上追加されていたという。
何も映っていないはずのその写真を拡大すると、うっすらと女性の顔が浮かび上がっていたとも語っている。
志布志パラダイスの心霊考察
志布志パラダイスにまつわる怪異は、廃墟特有の「負の記憶」が集積された結果であると考えられる。
豪華だった建物が放置され、やがて風雨にさらされながら腐敗していく過程で、人々の「不安」や「恐れ」が積み重なり、そこに心霊的現象が発現した可能性がある。
また、自殺が多発しているという噂も、それ自体が土地の「念」を強めているとも言える。
影の数が増える、鏡越しに現れる霊、人形の呪い……いずれも「そこにいるはずのない存在」が姿を見せる点に共通しており、空間そのものが異界に近い状態にあると解釈できる。
いずれにせよ、志布志パラダイスは単なる廃墟ではなく、「何かが棲んでいる場所」として、今もなお人々の記憶と恐怖を呼び起こし続けているのである。
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