鹿児島市にある「二軒茶屋電停前踏切」には、かつて何度も繰り返された事故の記憶が今もなお色濃く残っている。その異様な過去に起因してか、この場所では不可解で不気味な現象が数多く報告されている。今回は、二軒茶屋電停前踏切にまつわるウワサの心霊話を紹介する。
二軒茶屋電停前踏切とは?

鹿児島市電・谷山線に位置する「二軒茶屋電停」は、JR指宿枕崎線と並走する形で存在する特殊な構造の停留場である。
この地は、かつて薩摩藩の城下町への入口にあたり、南からの旅人が立ち寄ったとされる二軒の茶屋にその名を由来する。
しかし、この地にある踏切には異常な経緯がある。
現代日本においては、原則として新たな踏切の新設は認められていない。
それにも関わらず、2010年、ある種の「移設扱い」として、異例の新設が行われたのである。
かつてこの場所では、市電の電停は存在していたものの、JR側には踏切が設置されていなかった。
そのため、高台に住む日之出町側の住民たちは、正規ルートで市電にアクセスするには大きく迂回を強いられた。
やがて、住民の多くはフェンスの切れ目を見つけ、警報も無い線路上を自己判断で横断するようになった。
当然ながら、列車との接触事故は頻発した。
1度ではない。
2度でもない。
本当に、何度も。
32年にわたる住民の要請にも関わらず、JR側は対応を拒み続けた。
そして事故は繰り返された。
だが、谷山〜慈眼寺間の高架化計画の余波で、ついにこの地にも踏切が設置されるに至った。
悲願の踏切は、2010年、ようやく完成した。
しかし、ようやく設置されたその踏切には、今も人知れぬ“影”が揺らめいている。
二軒茶屋電停前踏切の心霊現象
二軒茶屋電停前踏切の心霊現象は、
- 通行中、突然足が動かなくなる
- 後ろを歩いていた人影が、いつの間にか消えている
- 夜間、誰もいないはずの踏切に人の気配がする
- 踏切付近の住宅で、耳を疑うような異様な声が聞こえる
である。以下、これらの怪異について記述する。
この踏切は、2010年に設置された比較的新しい人道用踏切であるが、設置までの間に繰り返された無数の事故と死が、この地に異質な“気”を染み込ませてしまったように思える。
踏切を渡る最中、突然足が重くなり、前に進めなくなる――という体験は複数の通行者が証言している。
それは「何か」が脚を掴んでいるかのような、説明のつかぬ感覚であるという。
また、通行人がふと後ろを振り返ると、ついさっきまで並んで歩いていたはずの人影が、忽然と消え去っている――そんな証言も少なくない。
目撃者は口をそろえて言う。「誰かが、確かにいた」と。
夜の踏切では、誰もいないはずの空間から視線を感じる。気配がする。
足音がする。
だが、そこには誰もいない。
二つの警報機が交互に鳴る中、異音のような声が交じって聞こえたという証言すらある。
最も強烈な現象は、踏切そばのアパートで発生した。
二軒茶屋電停前踏切の心霊体験談
「昔、この踏切を渡ってすぐのアパートに住んでいました。ある夜、深夜1時過ぎだったと思います。寝入りばなに、突然アパートの中で響き渡るような声を聞きました。哄笑なのか、悲鳴なのか、呻きなのか――とても人間の声とは思えませんでした。私一人ではなく、母も同じ声を聞いていました。その声は十数分続きました。止まった時、私たちは布団の中で凍りついて動けませんでした。テレビもついておらず、外も静か。なのに、あの声だけが響いていた。結局、私たちは1年も経たずにアパートを引っ越しました。引っ越した後は、一度もあの声を聞いていません。だから思うのです――あの声は、あの場所にいた“何か”だったのだと。」
二軒茶屋電停前踏切の心霊考察
二軒茶屋電停前踏切で繰り返された事故の数々は、単なる“運の悪さ”では片付けられない。
フェンスを越えてまで横断せざるを得なかった住民の苦しみ。
踏切の無い場所で命を絶たれた人々の無念。それらが、事故現場に凝り固まったまま、今も留まっているのではないか。
事故の多発した場所には、往々にして“残留思念”と呼ばれる何かが蓄積されるという。
死の直前、助かるかもしれないと信じたまま命を落とした者。避けられたはずの事故で人生を絶たれた者。そういった者たちの「なぜ」という声が、この踏切には渦巻いている。
注意喚起の看板が並び、警報機が響いてもなお、感じる不気味な違和感。電車が通り過ぎても消えない、張り詰めた空気。
この場所は、単なる交通の通り道ではない。今も何かが見つめ、誰かが彷徨っている――そんな気がしてならない。
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