松江城のウワサの心霊話

島根県に現存する国宝・松江城には、いくつもの不可解な現象や呪いの伝説が存在する。それらの話を追っていくと、この城に秘められた恐るべき歴史が浮かび上がってくる。今回は、松江城にまつわるウワサの心霊話を紹介する。


松江城とは?

松江城の外観

松江城(まつえじょう)は、島根県松江市に位置する江戸時代の平山城である。

標高29メートルの亀田山に築かれ、山陰地方では唯一現存する天守を持ち、その美しさから「千鳥城」の別名を持つ。天守は2015年に国宝に指定された。

築城は慶長16年(1611年)、堀尾忠氏によって行われた。

しかし工事は難航し、城の完成には数多の犠牲が必要だったという伝説が残る。

その一つが「人柱」の話である。


松江城の心霊現象

松江城の心霊現象は、

  • 正体不明の霊が出現する
  • 天守からすすり泣きが聞こえる
  • 盆踊りを行うと城が揺れる
  • 馬場池で首のない馬が出現する
  • 恐ろしい笑い声が池から響く
  • 祟りによって歴代城主が次々と急死する

である。以下、これらの怪異について記述する。

少女の人柱伝説と呪い

松江城築城時、天守台の石垣工事は何度も崩れ落ちた。

家臣たちは「人柱を捧げなければ城は完成しない」と考え、盆踊りの夜、最も美しく踊りの上手な少女を選び、無理やり拉致した。少女は生きたまま石垣の下に埋められた。

城は完成したが、すぐに悲劇が始まる。築城主・堀尾吉晴とその子・忠氏が相次いで急死。

続く三代目・忠晴も跡継ぎなく亡くなり、堀尾家は断絶。次に城主となった京極忠高も三年で急逝し、一族は絶えた。

夜な夜な天守からは、埋められた少女のすすり泣く声が聞こえるようになったという。

さらに、盆踊りを城下で行うと、城全体が地響きのように揺れ動いた。以後、松江では長らく盆踊りが禁じられることとなった。

虚無僧の人柱

少女とは別に、もう一つの人柱伝説が存在する。

石垣の北東部分が崩れ続けていた時、一人の虚無僧が現れた。

彼は槍の刺さった頭蓋骨を掘り出し、供養するも「それだけでは足りない」と告げ、自らを人柱に差し出したという。

虚無僧の申し出は受け入れられ、彼は自らの命を犠牲にして城を支えた。

首のない馬と「マワラ」

松江城内「馬場池」では、落ち武者の霊が出るという話の他に、恐るべき怪異が語り継がれている。

ある侍が夜中に見回りをしていたとき、背後から蹄の音が聞こえた。振り返ると、そこには首のない馬が走っていたという。

その馬は池の中に入ると、足を踏み鳴らして暴れだした。

すると池の水面から、馬の首だけがゆっくりと浮かび上がり、侍の方を向いて「ケタケタケタ…」と不気味に笑ったのである。

この怪異は「馬笑(マワラ)」と呼ばれ、日本刀の試し斬りにされた馬の怨霊であるとも言われている。


松江城の心霊体験談

松平直政が城主だった時代、天守の最上階に亡霊が現れるようになった。

ある夜、直政がその霊に「お前は何者だ」と問いかけると、「この城の主です」と答えたという。

直政はこの霊が人柱の少女だと確信し、供養の意味を込めて“この城(コノシロ)”にかけて、宍道湖で獲れたコノシロの魚を捧げた。以後、亡霊は現れなくなったという。

だが、この静寂もいつまで続くかはわからない。松江では今なお、少女の祟りを恐れて盆踊りが避けられている地域が存在する。


松江城の心霊考察

松江城の怪異の中心には、「人柱」という凄惨な歴史が存在している。

生き埋めにされた少女と、祈祷で安寧を願いながらも自らを犠牲にした虚無僧。そのどちらもが、城の完成という大義の下に命を捧げられた者たちである。

少女の祟りによって堀尾家・京極家が断絶したのは偶然か。あるいは、あまりに重すぎる犠牲への報いだったのか。

天守に響くすすり泣き、城を揺るがす盆踊りの禁忌、そして首のない馬の笑い声。

これらの現象は、ただの怪談では片づけられない。

今なお松江の人々が恐れと敬意をもってこの城を語るのは、そこに確かに“何か”が存在しているからであろう


松江城の地図

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