広島県にひっそりと佇む「日露戦争戦死者の碑(中國九平戰死之碑)」には、今もなお戦死者の霊が彷徨っているという。戦国と近代戦争、二つの激戦の記憶が重なったこの地では、不可解な霊の目撃情報や怪奇現象が後を絶たない──。今回は、日露戦争戦死者の碑(中國九平戰死之碑)にまつわるウワサの心霊話を紹介する。
日露戦争戦死者の碑(中國九平戰死之碑)とは?
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本慰霊碑は、広島県西部の旧・西国街道沿い、茶臼山城跡の麓にひっそりと建てられている。
明治39年9月1日、日露戦争の激戦地である遼陽会戦にて命を落とした、当時22歳の中國九平氏を弔うための碑である。
だが現在では、その場所はすっかり忘れ去られ、草に埋もれ、ゴミにまみれており、かつての英霊を敬う姿勢はもはや見られない。
さらに、周囲は斎場や墓地に囲まれており、かつてこの地が戦国時代にも激戦地であった茶臼山城の戦いの舞台だったことを思えば、この場所に霊的な「何か」が宿っていると考えても不思議ではない。
日露戦争戦死者の碑(中國九平戰死之碑)の心霊現象
日露戦争戦死者の碑(中國九平戰死之碑)の心霊現象は、
- 正体不明の霊が現れる
- 夜になると周囲から呻き声のような音が聞こえる
- 写真に無数のオーブや人影が映る
- 霊感の強い人が近づくと頭痛や吐き気を訴える
である。以下、これらの怪異について記述する。
まず、多くの訪問者が報告するのは、「正体不明の霊の出現」である。
碑の前に立つと、軍服を着たような男性の影が背後に現れ、振り向くと誰もいないという不可解な現象が頻発している。
姿は見えずとも、草むらの間から誰かにじっと見られているような、背筋に氷を這わせるような感覚を覚える者も多い。
夜になると、碑の周囲で「うぅ…」という低く長い呻き声のような音が断続的に聞こえてくる。
録音を試みた者もいたが、その音は決して機器には記録されず、まるで「この世のものではない」ことを示しているかのようである。
さらに、写真に不可解なオーブや霧のような人影が映り込むという報告も多数寄せられている。
特に霊感の強い者が訪れると、碑に近づくにつれて頭痛や吐き気に襲われ、その場に立っていられなくなることもある。
日露戦争戦死者の碑(中國九平戰死之碑)の心霊体験談
ある若い男性二人が深夜に肝試し目的でこの慰霊碑を訪れた。
碑に近づくと、妙な重苦しい空気に包まれ、風もないのに木々がざわめく音が聞こえた。
碑に手を合わせようとした瞬間、背後から「立ち去れ」という男の声が聞こえ、振り返っても誰もいなかったという。
その後、二人のうち一人は帰宅してから高熱を出し、数日間うなされ続けた。
その間、彼は何度も「軍服を着た男が夢に出てきて、睨んでくる」と呟いていたという。
奇妙なことに、彼が持ち帰ったその時の写真には、碑の背後に不自然な黒い影が写り込んでいた。
日露戦争戦死者の碑(中國九平戰死之碑)の心霊考察
この慰霊碑が立つ場所は、ただの記念碑ではない。
茶臼山城跡という過去の戦の地、そして日露戦争という近代戦争の犠牲者を弔う地である。
つまり、二重の戦の記憶が重なった場所であり、その土に染みついた「死の念」は並大抵のものではない。
さらに、この碑が現在では手入れされず、荒れ果てた状態にあることが、霊たちの怒りや悲しみを呼び起こしているのではないかと考えられる。
慰霊の心を失った現代人に対する、静かなる訴えが、心霊現象という形で表れているのかもしれない。
忘れ去られた英霊の魂が今もこの地に留まり、訪れる者に何かを伝えようとしている──そのような印象を受けざるを得ない、深く重い心霊スポットである。
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