院庄東公園(睨み合いの松)は、岡山県津山市に存在する、古くから血塗られた因縁と怨念が渦巻く場所である。江戸初期に起きた殺害事件を契機に、この地には不可解な現象や恐怖の目撃談が絶えず語られてきた。今回は、院庄東公園(睨み合いの松)にまつわるウワサの心霊話を紹介する。
院庄東公園(睨み合いの松)とは?
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岡山県津山市院庄にある院庄東公園は、緑豊かで静かな佇まいの中に「睨み合いの松」と呼ばれる古木が植わっていることで知られている。
この松は、江戸初期の血生臭い争いの末に建立された墓に由来し、当時の怨念を吸い続けてきたと伝えられている。
慶長8年(1603)、森忠政が美作国に入封し院庄構城を修築した際、家臣・井戸宇右衛門と名護屋九右衛門の確執が表面化。
ついには凄惨な殺害事件へと発展し、その亡骸は国道を挟むように葬られた。
のちにそれぞれの墓の上に松が植えられ、まるで互いを恨みがましく睨み合うように立ち並んだことから、「睨み合いの松」と呼ばれるようになった場所である。
院庄東公園(睨み合いの松)の心霊現象
院庄東公園(睨み合いの松)の心霊現象は、
- 老爺の霊が松の間から現れ、通行人を睨みつける
- 松の根元で人影が蠢き、こちらを覗き込む
- 深夜、血に濡れた武士のような足音が聞こえる
- 墓の跡地を踏むと、何者かに脚を掴まれ動けなくなる
である。以下、これらの怪異について記述する。
まず目撃が絶えないのは、松の陰から姿を覗かせる痩せ細った老爺の霊である。
その顔は皺だらけで、恨みを込めた血走った目をギラつかせ、通りがかる人間を一心に睨み据えるという。
息が詰まるような視線に気付いて振り向いたときには、既に霊の姿は消えているが、しばらくすると再び視界の端で蠢くものを感じる。これが幾度も繰り返されるのである。
また松の根元に立つと、土の奥から湿った生暖かい気配が這い出し、膝裏を撫で回すように触れてくる。
恐る恐る足元を見下ろすと、そこには黒ずんだ人影が這い寄り、冷たい手で脚を掴み動きを封じるのだ。
さらに深夜になると、鎧兜を付けた武士の足音が砂利を踏み締めるように響き渡る。
音は一定の距離まで近づいては止まり、また別方向から聞こえ始める。
それはまるで、見えない者たちがこの場所を巡回し、侵入者を監視しているかのようである。
院庄東公園(睨み合いの松)の心霊体験談
ある男性が、仕事帰りにこの公園を通り抜けようとしたときのことである。
夜風に揺れる松を見上げた瞬間、枝の間からこちらを睨む異様に目が大きい顔が覗いた。
不気味に口角を吊り上げて笑うその顔を見たとき、男性は脚の力が抜け、声にならない悲鳴を上げてその場に座り込んだという。
次に気付いたときには、誰もいないはずの公園の奥から複数の足音が一斉に迫り、何かが自分を囲むように近づいてくる気配があった。
男性は這うようにして公園を抜け出し、以降二度と近づかなくなった。
院庄東公園(睨み合いの松)の心霊考察
この場所がこれほどまでに怨念を纏い続けるのは、井戸宇右衛門と名護屋九右衛門、そして宇右衛門の弟たちが無惨に殺され、その屍を国道の南北に分けるように埋めたことが大きな要因であろう。
互いを睨み合うように植えられた松は、彼らの怨恨をその幹に染み込ませ、今なお訪れる者を睨み返しているのかもしれない。
また一説によれば、事件後にこの国道は度重なる怪異に見舞われたため、明暦年間に道を北へ移したとされる。
そこまで人々を恐怖させた怨念は、松となってなお生き続け、通行人に災いを成すとも考えられる。
こうした伝承は、単なる昔話ではなく、この土地に未だ渦巻く黒い力の証なのかもしれない。
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