山口県萩市にひっそりと佇む、竹藪に覆われた史跡「女刑屍体腑分跡」。ここには、人知れず語り継がれてきたおぞましい心霊のウワサが存在する。かつてこの地で行われた残酷な刑と、その後に続く悲劇は、今もなお血塗られた記憶として土地に染み込んでいるという。今回は、女刑屍体腑分跡にまつわるウワサの心霊話を紹介する。
女刑屍体腑分跡とは?

この場所は、江戸時代に長州藩の刑場として使用されていた「大屋刑場」の跡地である。
街道筋である萩往還の傍に設置され、当時の旅人や庶民に対して処刑の様子を晒すことで、見せしめとし、犯罪の抑止を図ったとされる。
そしてこの地には、日本で初めて女性の腑分(解剖)が行われたという、戦慄すべき歴史が刻まれている。
藩医・栗山孝庵により腑分されたのは、17歳の若き女性・於美濃(おみの)であった。
彼女は夫からの日常的な暴力に耐えかね、ついにその命を奪い、捕らえられた末に処刑されたのである。
当初、彼女には磔刑が下されていたが、栗山の願いにより斬首へと変更された。
これは、体の損傷を最小限にとどめることで、医学的な観察が可能になるよう配慮された処置であった。
今も現地には、「栗山孝庵 女刑屍体腑分之跡」と刻まれた石碑が、竹藪の中にひっそりと建てられており、その隣には供養のための地蔵も立つ。
しかしこの場所は、ただの史跡として片付けるにはあまりにも異様で、訪れた者の心に重苦しい陰を落とすという。
女刑屍体腑分跡の心霊現象
女刑屍体腑分跡の心霊現象は、
- 夜になると、首のない女性の影が竹藪の中を彷徨っている
- 石碑の前でカメラが突然故障し、録画した映像に奇妙な呻き声が入っていた
- 地蔵の前で手を合わせた直後、耳元で「まだ…生きたかった…」という女性の声が聞こえた
- 見学後に体調不良を訴える者が後を絶たない
である。これらの現象は、あまりにも生々しく、訪れた者の精神を蝕むとまで言われている。
以下、これらの怪異について記述する。
竹藪に囲まれた女刑屍体腑分跡は、昼間でもどこか陰鬱な雰囲気をまとっている。
風が吹けば、まるで誰かがすすり泣くような音が耳に届く。
そして、碑の前に立つと、冷たい視線のようなものを背後に感じるという者も多い。
かつてこの地で腑分された17歳の於美濃は、家族に愛されることもなく、暴力の果てに罪を犯し、最後には見知らぬ人々の目の前で首を落とされた。
死してなお、魂は成仏できず、解剖という形で肉体まで晒され、痛みと無念の念を土地に刻みつけたのであろう。
また、石碑の前で手を合わせたある訪問者は、その夜、自宅で女性のすすり泣く声にうなされ、夢の中で「返して…返して…」と首を抱えた女に追われたという。
女刑屍体腑分跡の心霊体験談
ある地元住民の話によると、深夜にこの場所を通りかかった際、竹藪の奥から人の気配がし、「誰かいますか?」と声をかけたところ、女性の泣き声が返ってきたという。
懐中電灯を照らしても人影はなく、逃げるようにその場を立ち去ったと語っている。
また、別の若いカップルが肝試しに訪れた際、記念撮影を行ったが、その写真には明らかに第三の人物、顔のない女性が写っていたという。
女性は青白く、うつむきながら彼らの背後に立っていた。
女刑屍体腑分跡の心霊考察
この地に現れる霊は、決して単なる成仏できない幽霊ではない。
暴力の連鎖、制度の冷酷、そして解剖という非情な現実の中で、何度も肉体と魂を引き裂かれた哀しき存在である。
特に、声なき声を上げ続ける女の霊は、「知ってほしい」「忘れないでほしい」と訴えているのではないか。
無念に殺され、さらに晒されるという二重の死を迎えた少女の怨念は、時を越えてなお、人々の心に問いかけてくる。
今後もこの地を訪れる者は、決して軽い気持ちで立ち入るべきではない。
手を合わせるならば、形だけではなく、彼女の痛みと無念を真摯に受け止める覚悟が必要である。
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