愛媛県伊予市にある立岩海水浴場(通称・モンチッチ海岸)は、地元の憩いの場として親しまれてきた景勝地である。しかし一方で、過去には不可解な事故や怪奇な体験談が語られており、心霊スポットとしての一面も囁かれている場所である。今回は、河南病院にまつわるウワサの心霊話を紹介する。
河南病院とは?

河南病院は、もともと製糸工場として建てられた建物を転用して、結核患者を隔離するための病院になったと伝えられている。
工場の名残である高い煙突がそびえ立ち、外観は病院というよりも古びた工場に見えたという。
開院時期や閉院時期は不明であるが、1960年代後半にはすでに病院として機能しており、2000年代には完全に廃墟と化していた。
院内には患者のカルテや医療器具、日用品などが散乱し、結核で命を落とした患者の怨念が今も漂うと噂された。
2009年までに解体され、現在は別の施設が建てられているが、その名は今もなお地元の心霊スポットとして語り継がれている。
河南病院の心霊現象
河南病院の心霊現象は、
- 誰もいない廊下で響く足音
- 病室のドアから覗き込み、手招きをする患者の霊
- 二階トイレの鏡に映る男の姿
- 院内のカルテを持ち帰ると「河南病院です。カルテを返してください」と電話が掛かってくる
- カルテを持ち帰った者が、その病名通りの病にかかる
- 病院に訪れた車が故障する
である。以下、これらの怪異について記述する。
廃墟となった病院の廊下からは、夜ごとに「コツ、コツ」と規則正しい足音が聞こえたとされる。
足音の主を確かめようと振り返っても、そこには誰もいない。
また、当時の患者とされる痩せ細った姿の人物が、病室のドアから顔を覗かせ、無言で来訪者を手招きするという。
さらに二階のトイレにある鏡を覗き込むと、自分の背後に蒼白な顔の男が立っていたという恐ろしい証言もある。
しかし河南病院最大の怪異は「カルテ」である。院内に散乱していたカルテを持ち帰った者には、深夜「河南病院です。カルテを返してください」という不気味な電話が掛かってくるとされる。
その上、カルテに書かれていた病名が、やがて持ち帰った本人を襲うという噂も存在する。
河南病院の心霊体験談
数十年前、友人7人で河南病院を訪れた人物の証言がある。
現地に着いた瞬間、1人の女性が頭痛と吐き気を訴えた。
大半は恐怖で中に入るのを拒んだが、語り手ともう一人が裏手の木造平屋から侵入した。
突如として壊れた雨どいの太い塩ビ管が、無風にも関わらず激しく揺れ始めた。まるで「入ってくるな」と拒絶するようであった。
病院内には衣服や筆記用具、ベッドや椅子が散乱し、柱には複数のお札が貼られていた。
さらに裏手に倉庫があり、そこには地下へと続く石の階段があった。
奥は闇に閉ざされ、冷気と共に「オォォ…」という呻き声のような音が響いていた。
体験者は「ここに踏み込めば二度と戻れない」と直感し、引き返したという。
帰路につくと、頭痛を訴えていた女性の車から突然白煙が噴き上がり、走行不能に陥った。
原因は不明のまま、車はレッカー移動された。
女性の体調は翌日には回復したが、体験者は「河南病院には何かが確かに存在していた」と語っている。
河南病院の心霊考察
河南病院が心霊スポットとして恐れられた理由は大きく二つある。
第一に、結核患者を隔離したとされる背景である。当時、結核は不治の病であり、数多くの患者が院内で命を落とした可能性が高い。
その怨念が廃墟となった病院に留まり続け、怪異を生んだと考えられる。
第二に「カルテの怪異」である。電話が掛かってくる現象は都市伝説的要素を持つが、持ち帰った者が病に罹るという噂と重なり、恐怖を増幅させた。
さらに地元では、カルテを持ち帰った際は「朱墨にポンジュースを混ぜ、病名に二重線を引いて『取消』と書く」ことで呪いを避けられるという奇妙な風習すら語られた。
河南病院は既に解体されて存在しないが、その怪異譚はいまも語り継がれており、廃墟心霊の象徴的存在であるといえる。
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