国分寺公園(天六ガス爆発事故犠牲者慰霊碑)は、かつて大阪を震撼させた大規模ガス爆発事故の爪痕を今も静かに残す場所である。公園内には犠牲者を悼む慰霊碑が建ち、周辺には事故当時の記憶を語り継ぐ痕跡が点在している。今回は、国分寺公園(天六ガス爆発事故犠牲者慰霊碑)にまつわるウワサの心霊話を紹介する。
国分寺公園(天六ガス爆発事故犠牲者慰霊碑)とは?

国分寺公園は大阪市北区・天神橋筋六丁目駅からほど近い住宅地に位置する公園である。
園内には滑り台や砂場などの遊具が並び、日中は子ども連れの姿も多く見られる。
しかし、この明るい雰囲気の中心に、重く静かな“慰霊碑”が建っている。
この慰霊碑は、1970年(昭和45年)4月8日に発生した天六ガス爆発事故の犠牲者を弔うために建てられたものである。
同事故は帰宅ラッシュの時間帯に突如起きた都市ガス爆発で、79名が死亡、420名もの人々が重軽傷を負った大惨事であった。
爆風により周辺の建物は多数が損壊し、現場は地獄絵図のような惨状となったと伝えられる。
現在の公園は整備され穏やかであるが、事故現場に近い土地であることから、長年にわたり“何かを感じる場所”として静かに語られ続けているのである。
国分寺公園(天六ガス爆発事故犠牲者慰霊碑)の心霊現象
国分寺公園(天六ガス爆発事故犠牲者慰霊碑)の心霊現象は、
- 男性の幽霊が現れる
- 老婆の幽霊が目撃される
- 動物の霊が公園内を横切る
- 夕方になると、慰霊碑付近で“誰かが立っているように感じる”
である。以下、これらの怪異について記述する。
まず、最も多く語られるのが男性の幽霊である。
夜になり人影の少なくなった公園で、慰霊碑の前に立つ黒い影を見たという報告が複数存在する。
近づくと誰もいないが、立ち去ろうとすると背後で砂を踏むような音がついてくると証言する者もいる。
次に、老婆の幽霊である。これは滑り台やブランコが並ぶ児童エリアで目撃されることが多いという。
子どもを探すようにゆっくりと歩き回る姿が見られるが、視線を向けた瞬間に消えるという特徴がある。
事故当時の混乱で家族を探していた犠牲者ではないか、と噂されている。
さらに、公園内では動物の霊も確認されている。砂場の周囲やフェンスの陰に動かない鳩がいた、あるいは夜間に動物の気配だけが走り抜けるといった話が残されている。
事故で倒壊した建物や火災の影響で、多くの動物も巻き込まれたとされており、それらが現れるという説が語られている。
また、夕暮れ時になると慰霊碑の横に人影が立つという気配を感じる人は少なくない。
はっきり見えないのに、そこに“誰かがいる”と分かる。
視線を向けても姿はないが、碑の前だけ空気が冷たくなるという。
国分寺公園(天六ガス爆発事故犠牲者慰霊碑)の心霊体験談
この場所で語られる体験談の中には、以下のようなものがある。
ある男性は、夜の散歩で公園を通り抜けた際、慰霊碑の前にぼんやりと人影が立っているのを見たという。
誰かが参拝しているのだろうと思い、軽く会釈して横を通り過ぎた。
しかし数歩先で振り返ると、そこにはもう誰もいなかった。
人が歩けば必ず音が鳴るはずの砂利道は、静まり返っていた。
また別の人は、昼間の公園で砂場のフェンスの中に“じっと動かない鳩”がいるのに気づいた。
周囲の子どもが走り回っても、近づいてもまったく動かない。
「死んでいるのか」と思い離れたが、数分後に戻ると鳩の姿は跡形もなかったという。
足跡も残っていないため、同行者が不気味さを覚えたと語っている。
国分寺公園(天六ガス爆発事故犠牲者慰霊碑)の心霊考察
国分寺公園で語られる心霊現象は、派手さはないものの、どれも“静かに寄り添う存在”のように感じられる点が特徴である。
男性の影や老婆の姿、動かない動物――これらはすべて、1970年の事故で突然命を奪われた人々や生き物の“残滓”が、公園の時間の中に沈んでいるようにも見える。
慰霊碑の周囲で気配が強まるという話は、事故がこの場所に深い爪痕を残した証である。
生者が通り過ぎるわずかな時間だけ、その記憶が揺り戻され、あたかも過去の影が立ち上がってくるかのようである。
国分寺公園は日中こそ穏やかだが、夕方以降は事故の記憶が静かに息づき、訪れる者に“何か”を思い起こさせる場所となっているのである。

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