かつて壇ノ浦で滅びた平家の武将・平有盛を祀る有盛神社。今も奄美大島の山中に静かに佇むその社には、平家の怨念が渦巻く数々の心霊のウワサが囁かれている。男の霊の出現、家紋を刻まれた死体、幟を掲げた侍の霊――。今回は、有盛神社にまつわるウワサの心霊話を紹介する。
有盛神社とは?

有盛神社は、鹿児島県奄美市名瀬浦上町に鎮座する神社であり、平安時代末期に壇ノ浦の戦いで敗れた平家一門のひとり、平有盛(たいらのありもり)を祀っている。
有盛をはじめ、資盛・行盛といった平家の武将たちは、落人として喜界島から大島へと渡り、それぞれが居を構えたと伝えられている。
有盛は浦上の地に城を築き、その跡地に建立されたのがこの有盛神社である。
江戸時代には、薩摩藩士・田代清方が航海の安全を祈願し、石造の弁財天像を寄進。
さらに文化13年(1816年)には、大島代官・肥後翁助が平有盛の墓碑を建立した。
これらは現在、地域の重要文化財として大切にされている。
だが、この神社はただの歴史的な場所ではない。
人々の記憶に刻まれた、血と怨霊にまつわる恐ろしい伝説が今もなお囁かれている。
有盛神社の心霊現象
有盛神社の心霊現象は、
- 男性の霊が現れる
- 平家の家紋を掲げた霊が襲いかかる
- 祟りにあう
- 額に平家の家紋が彫られた死体の発見
- 平家の幟を持った侍の霊の目撃
である。以下、これらの怪異について記述する。
まず、男性の霊が現れるという現象。
これは境内の奥、平有盛の墓碑周辺で多く報告されており、夜になると、甲冑姿の男性が無言で立ち尽くしているのを見たという証言が相次いでいる。
その顔は怒りと哀しみに満ち、訪れた者の足をすくませるという。
次に、平家の家紋を掲げた霊が襲いかかってくるという話。
これはこの地に平家の滅亡と無関係なはずの家紋「揚羽蝶」が突然浮かび上がり、それが霧の中から迫り来る霊の鎧に輝いていたという証言に基づく。
その霊は突然現れ、睨みつけたまま消えるが、その後に体調不良を訴える者が続出している。
さらに、江戸時代には50人以上の惨殺死体が境内から発見されたという恐ろしい伝説が残る。中には額に平家の家紋が彫られた死体もあったという。
これを祟りと恐れた村人たちは墓地や慰霊碑を建立し、供養に努めたというが、怨念の火種は今なお消えてはいない。
そして今も、平家の幟を持った侍の霊が目撃されている。
風のない日に突如として現れ、幟を掲げて山の上を見下ろすように立っていたという証言がある。
霊は何も語らないが、その眼差しには、生前の無念と哀しみが宿っているように感じたという。
有盛神社の心霊体験談
ある若者が、有盛神社に夜中肝試しに訪れたときのことである。
石段を登る途中、背後から「カツッ、カツッ」と草履の音が追いかけてくるのを感じた。振り返っても誰もいない。
しかし、社殿の前に立った瞬間、突然肩に重い何かがのしかかり、息ができなくなったという。
慌てて逃げたが、帰宅後も高熱が続き、病院では原因不明と診断された。
数日後、肩のあたりに赤く浮かび上がったのは「蝶」のような模様だったという。
有盛神社の心霊考察
有盛神社に現れる霊は、単なる偶然や錯覚では片付けられないほど、一貫した共通点を持っている。
それは、いずれも「平家」と深い関わりを持つという点である。
平有盛は源氏に追われた末、奄美に辿り着いたとされるが、彼の無念や誇りが、未だこの地に根強く残っているのだろう。
侍の霊や、家紋の浮上、そして祟りの伝承は、まさに怨霊によるメッセージとも取れる。
供養や鎮魂がいくら行われても、祟りが鎮まらないという事実は、むしろその想いの強さと、現世に対する執着を裏付けている。
有盛神社はただの観光地ではない。
そこは、時代に翻弄され、命を散らした者たちの魂が眠る「境界」である。
軽々しく足を踏み入れるべきではない――そう警告しているかのように、今日もまた、誰かが彼らの視線を感じながら石段を登っている。
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