別子銅山(別子銅山第三変電所)は、江戸時代から昭和にかけて採掘が行われ、「東洋のマチュピチュ」とも呼ばれる歴史的な廃墟群が残る場所である。しかし、この地には過酷な労働環境のもとで命を落とした者たちの怨念が刻み込まれており、第三変電所周辺では数々の怪異が報告されている。今回は、別子銅山(別子銅山第三変電所)にまつわるウワサの心霊話を紹介する。
別子銅山(別子銅山第三変電所)とは?

別子銅山は、江戸時代の元禄3年(1690年)に発見され、その後、住友による採掘が行われた銅山である。
明治期には近代化が進み、惣開精錬所の操業開始や住友別子鉱山鉄道の開業に伴い、隆盛を極めたが、1973年に閉山した。
特に東平地区には、坑道や鉄道跡、そして旧東平第三変電所をはじめとする数々の遺構が残され、その姿は「東洋のマチュピチュ」と称されるほど、天空に浮かぶ廃墟群のようである。
戦時中には、236人の朝鮮人労働者が酷使され、飢餓と過酷な労働の中で命を絶つ者も多く、彼らの怨念が今なおこの地に巣食っていると伝えられている。
別子銅山(別子銅山第三変電所)の心霊現象
別子銅山(別子銅山第三変電所)の心霊現象は、
- 朝鮮人労働者の苦悶と絶望が凝縮された霊が出現する
- 第三変電所付近において、薄明かりの中、不気味な人影や幽霊が現れる
- 車両が不可解な動作を見せ、影が車を取り囲む現象
- 廃坑や廃施設から、悲鳴や呻き声が風に乗って聞こえる
である。以下、これらの怪異について記述する。
まず、朝鮮人労働者の霊は、過酷な労働と飢餓に苦しんだ歴史の証として、薄暗い坑道や崩れゆく廃構内に姿を現すとされ、その哀しげな瞳と呻きは、訪れる者に計り知れぬ不安を与えるである。
次に、第三変電所周辺では、歴史の闇に飲み込まれたかのような幽霊が頻繁に目撃される。
彼らは無言のまま現れ、時折、遠い昔の悲劇の記憶を呼び覚ますかのように、異様な存在感を漂わせる。
また、ある夕暮れ、友人と共に東平地区を訪れた者は、レンガ造りの廃墟やトロッコのインクラインを見学した後、車に戻った際、エンジンがかからなくなるという奇怪な現象に見舞われた。
やがて夜が更けると、突如、数多の人影が車を取り囲み、容赦なく「ドンドンドン!」と車体を叩く音が響き渡り、その衝撃により意識を失うという恐怖の体験が報告されている。
さらに、廃坑からは、かつての激しい労働の悲鳴や、自然災害、そして殺人事件といった数々の惨劇の余韻が、風とともに伝わってくる。
山津波による大惨事や、ダイナマイトによる殺傷事件の記憶が、今もなお、この地に深い怨念として残され、訪れる者を恐怖に陥れる。
別子銅山(別子銅山第三変電所)の心霊体験談
実際に、ある人物は友人数名とドライブで東平地区を訪れた際、駐車場に車を停め、レンガ造りの廃墟やトロッコのインクラインを見学した後、車に戻るとエンジンがかからないという不可解な現象に遭遇したと語るである。
夜が訪れると、突如として車の周囲に多数の人影が現れ、「ドンドンドン!」という激しい音とともに車体を叩き始め、最終的にその人物は気絶し、翌朝になっても意識が戻らなかったという。
これらの体験談は、別子銅山の第三変電所付近における霊の存在を強く示唆している。
別子銅山(別子銅山第三変電所)の心霊考察
別子銅山及び第三変電所周辺における心霊現象は、過去に横たわる無数の悲劇と、劣悪な労働環境によって生み出された深い怨念の結晶であると考えられる。
朝鮮人労働者の過酷な労働環境と、飢えや絶望の中で命を落とした者たちの魂は、未だにこの地に彷徨い、訪れる者に不吉な前兆を告げる存在となっている。
さらに、自然災害や殺人事件といった歴史的惨劇が、この場所にさらなる暗い影を落としており、廃墟や坑道から響く呻き声や異様な人影は、単なる偶然ではなく、歴史の闇に染まった怨念の具現化であると結論付けるほかないのかもしれない。
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