熊本県人吉市にある永国寺――地元では「幽霊寺」として知られるこの寺には、古くから数々の不気味な噂が絶えない。燃え残った幽霊の掛け軸、成仏したはずの霊の影、不幸を呼ぶ写真……今回は、永国寺(幽霊寺)にまつわるウワサの心霊話を紹介する。
永国寺(幽霊寺)とは?
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永国寺は、熊本県人吉市土手町にある曹洞宗の寺院で、正式名称は「蓬来山永国寺」とされている。
鎌倉時代、この地を治めていた相良氏の庇護のもと、実底超真和尚により開かれた由緒ある寺院である。
この寺が一躍世に知られることとなったのは、「幽霊の掛け軸」が存在することによる。
掛け軸には、かつて球磨川に身を投げた女性の霊が描かれており、その異様なまでの生々しさと不気味さから、人々はこの寺をいつしか「幽霊寺」と呼ぶようになった。
明治10年の西南戦争では、西郷隆盛率いる薩軍がここを本陣とし、33日間滞在した。
激しい戦火により永国寺は全焼したが、不思議なことに幽霊の掛け軸だけは焼け残っていたという。
永国寺(幽霊寺)の心霊現象
永国寺(幽霊寺)の心霊現象は、
- 女性の霊が境内の池に現れる
- 幽霊の掛け軸の写真を撮ると不幸が起こる
- 掛け軸には成仏していない男性の霊が取り憑いている
- 全焼したにもかかわらず掛け軸だけが無傷で残った
である。以下、これらの怪異について記述する。
まず、最も有名な現象は「女性の霊の出現」である。
池の周辺に立ち込める湿った空気の中、白い着物をまとった女性が水面に立つように見えるという。
彼女の表情は恨みに満ちており、目が合った者はしばらくの間、悪夢にうなされると噂されている。
次に「掛け軸の写真を撮ると不幸が訪れる」という怪異である。
これは実際に寺を訪れた者が、掛け軸の写真を自宅で確認した際、写真に写っていないはずの顔のようなものが映っていた、という報告に始まる。
その後、その人物は身内の不幸や事故に見舞われ、慌てて寺に写真を持ち込み供養してもらったという。
さらに、「掛け軸に男性の霊が憑いている」との話も後年になって浮上してきた。
本来、掛け軸に描かれているのは女性の霊であったはずだが、現在では男のうめき声が掛け軸から聞こえたという証言や、男性の影が絵の中に浮かび上がったという怪現象も報告されている。
最後に、「西南戦争で全焼したにもかかわらず、幽霊の掛け軸だけが無傷で残った」という不可解な事実がある。
戦火の中、他の寺宝は全て焼失したが、この掛け軸のみが奇跡的に焼け残ったのである。
もはや偶然では片付けられない執念のような力を感じざるを得ない。
永国寺(幽霊寺)の心霊体験談
ある女性が、夏の昼下がりに永国寺を訪れた。目的は幽霊の掛け軸を見ることだった。
堂内に入ったときは何の異変もなかったが、掛け軸の前に立った瞬間、冷たい風が彼女の首筋を撫でたという。
そのとき、掛け軸の下に置かれていた台座がわずかに揺れたのを見て、思わず後ずさりしたそうだ。
さらに夜、宿泊先で目を覚ますと、部屋の隅に白い影が立っていた。
女性は翌朝、永国寺に戻り、再び手を合わせてお祈りをし、掛け軸に詫びを入れたという。
するとその夜から、白い影は現れなくなったという。
永国寺(幽霊寺)の心霊考察
永国寺にまつわる数々の怪異は、単なる言い伝えにとどまらず、現代においても実体験として語られ続けている。
幽霊の掛け軸には、成仏しきれなかった魂が封じられていると考えるのが妥当である。
本来、掛け軸の中の霊は和尚の導きによって成仏したと伝えられている。
しかし、掛け軸が戦火を逃れてなお存在し、さらには新たな霊の気配までもが取り憑いているという事実は、ただの伝承では済まされない何かがあることを示唆している。
また、幽霊が現れたとされる池は、今もなお異様な静けさをたたえ、霊的な存在が近くにいることを暗示している。
水という存在が過去の記憶を吸い込み、いまなおその場に怨念を留めているのかもしれない。
永国寺は観光地としても知られるが、軽い気持ちで足を踏み入れるには、あまりにも重く、深い“何か”が眠っているように思われる。
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