花倉病院跡のウワサの心霊話

1993年、鹿児島市吉野町の花倉病院を襲った土砂災害は、15人の命を奪う惨劇となった。その後廃墟と化した病院跡では、今なお不可解な現象が語られ続けている。今回は、花倉病院跡にまつわるウワサの心霊話を紹介する。


花倉病院跡とは?

花倉病院跡の外観

花倉病院跡は、鹿児島県鹿児島市吉野町に位置する旧病院跡である。

国道10号線花倉交差点から山手に入った先にその廃墟は存在し、戦中の1942年に崎元病院の分院として開設された。

1962年には結核病床に加え、精神科病床も新設され、1989年には医療法人仁愛会花倉病院へと改名されている。

この場所が“忌まわしき地”となったのは1993年8月6日、鹿児島市を襲った集中豪雨が引き起こした裏山の土砂崩れによる。

土砂は病院を直撃し、入院患者と避難住民合わせて15人が命を奪われた。

病院は一年の休診を経て高台へと移転されたが、被災した旧病棟はそのまま遺され、解体もされずに朽ち果てるのを待っている。

現在、病院跡地には立ち入り禁止の看板が掲げられ、人の出入りを拒むように沈黙している。


花倉病院跡の心霊現象

花倉病院跡の心霊現象は、

  • 男性の霊が現れる
  • 災害で埋まった霊が今なお彷徨っているとの噂
  • 真夜中に窓からこちらをじっと見つめる目撃談
  • 入った者が原因不明の高熱にうなされる

である。以下、これらの怪異について記述する。

男性の霊が現れる

病院跡の敷地内で、誰もいないはずの廊下を歩く“白衣を着た男性”の姿が目撃されることがある。

その姿は足元が霞み、まるで宙に浮かぶように揺れているという。

目撃者の一人は「顔を見た瞬間、目が合った気がして身動きが取れなくなった」と語る。

災害で埋まった霊が今なお彷徨う

1993年の土砂災害では、土に埋もれたまま救出されなかった遺体があると噂されている。

雨の日に現地を訪れると、どこからともなく土の中から助けを求める呻き声が聞こえることがあるという。

中には、土砂の中から手が突き出しているのを見たと証言する者もいる。

窓からこちらをじっと見つめる

夜間、病棟の窓を見上げると、明かりもないはずの廃墟の窓から誰かがこちらをじっと見ている。

カメラを向けると、シャッターが切れなかったり、白くぼやけた“顔”が映り込むなどの現象が多発している。

入った者が原因不明の高熱に

探索目的で敷地に足を踏み入れた者の中には、帰宅後に39度を超える高熱を出し、数日間意識が朦朧とするという報告もある。

医師の診断でも原因不明とされ、本人は「誰かに肩を掴まれたような感覚が残っていた」と語っている。


花倉病院跡の心霊体験談

地元の若者グループが肝試しとして病院跡を訪れた際の出来事である。

廃墟の中を進んでいると、突然ひとりが「誰かに呼ばれた」と言って立ち止まった。

誰も声など聞いていない中、彼だけがうわ言のように「こっち…こっち…」と繰り返し、奥の部屋へとふらふら歩いていった。

慌てて仲間が引き戻すと、彼の目は真っ赤に充血し、直後にその場で嘔吐。

後日、彼はしばらくの間、夜になると寝言で「埋まってる…まだいる…」と呟いていたという。


花倉病院跡の心霊考察

花倉病院跡に纏わる心霊現象は、すべて1993年の土砂災害という“突発的で凄惨な死”に由来していると考えられる。

急な災害により命を絶たれた者たちは、自身の死を受け入れることができず、今なお病院の周囲を彷徨っているのではないか。

とくに男性の霊とされる存在は、当時の医療従事者であった可能性が高く、患者を助けられなかったという自責の念が、その霊的存在をこの世に縛り付けているのかもしれない。

また、不可解な体調不良や窓に現れる“視線”といった現象は、生き残った者への無言の訴え、あるいは助けを求める最後の声であるとも捉えられる。

今は朽ち果てたその病棟も、確かに“生”と“死”の境界であった場所であり、その境界がいまだ閉じられていないがゆえに、現世と霊界が交錯する異界となっているのであろう。


花倉病院跡の地図

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