福成寺(肝食い寺)のウワサの心霊話

広島県東広島市にある福成寺――別名「肝食い寺」とも囁かれるこの地には、昭和初期に起きた陰惨な殺人事件と、それにまつわるおぞましい心霊現象のウワサがあるという。今回は、福成寺(肝食い寺)にまつわるウワサの心霊話を紹介する。


福成寺(肝食い寺)とは?

福成寺(肝食い寺)の外観

福成寺(ふくじょうじ)は、広島県東広島市西条町下三永に所在する真言宗御室派の寺院である。

その歴史は古く、奈良時代の神亀3年(726年)に網衣上人が開山したと伝わる。

平安末期の元暦元年(1184年)、治承・寿永の乱の際に焼失したが、真浄によって再建され、鎌倉幕府も御教書を下して再建を支援したとされる。

境内には樹齢800年とも言われる高さ40メートルの夫婦杉をはじめ、数百年を超える巨木が聳え立つ。

また、春には千本を超えるシャクナゲが咲き乱れ「石楠花寺」とも呼ばれ、多くの参拝客が訪れる。

しかしこの地には、あまりにおぞましく恐ろしいウワサが残されている。

※一部では、肝食い寺などと云われているが、この寺が行ったことではなく無関係である。


福成寺(肝食い寺)の心霊現象

福成寺(肝食い寺)の心霊現象は、

  • 小さな少年の霊が現れ、自分の体を探すかのように辺りを彷徨う
  • 夜の本殿裏手で、誰もいないのに子供のすすり泣く声が聞こえる
  • 墓地付近で白い手が生えているように見え、やがて闇に溶ける
  • 夫婦杉の根元に人影が立ち、じっとこちらを見つめている

である。以下、これらの怪異について記述する。

昭和6年7月21日、広島県賀茂郡下三永村(現在の東広島市西条町)で、言葉を失うような事件が起きた。

小学校の終業式を終え、雨の中を帰宅していた当時8歳の少年が、開拓業の男に襲われ、首を絞められた上に草刈鎌で無残にもバラバラにされたのである。

犯人は「癩病には子供の肉が効く」という俗信を信じ、妻の父を治すため少年の手足と内臓を持ち帰り、黒焼きにして柏餅と共に差し出したという。

このとき、少年の残された遺体が遺棄された場所が、福成寺の裏手の山中であったと噂されている。

それ以来、寺の裏手では小さな子供の霊が、自分の奪われた手足や内臓を探して彷徨い続けているという話が絶えない。

夜に境内を歩けば、暗い杉木立の間から小さな影がこちらを見つめてくるような気配を覚えることもある。

ときには子供のくぐもった泣き声が聞こえ、それが近づいたと思った瞬間、ぬるりとした冷気が身体を撫でるとも言われている。


福成寺(肝食い寺)の心霊体験談

「石楠花が咲く頃に一度訪れたが、夫婦杉の根元で写真を撮ろうと構えた瞬間、カメラのピントが何度も勝手に外れ、画面に白い靄のようなものが何度も映り込んだ。後日見返すと、その靄がまるで子供の顔のように見えてしまい、ぞっとしてすぐに削除した。」

「夜に友人たちと肝試しで訪れた際、本堂裏で小さな足音が砂利を踏む音が確かに聞こえた。辺りを照らしても誰もいない。帰る頃には足が重くなり、数日間微熱が続いた。」


福成寺(肝食い寺)の心霊考察

現在、近隣住民の中には「心霊現象は聞いたことがない」「事件はあったが福成寺とは関係がない」という者もいる。

しかし少年の遺体が福成寺裏手に遺棄されたという話が根強く残る以上、無念を抱えた霊がこの寺を彷徨っている可能性を否定できない。

特に山中の鬱蒼とした杉木立や、雷に打たれて内部が炭化した夫婦杉の異様な姿は、何かを封じ込めているようにも見える。

人の怨念や恐怖は場所に染みつき、時に無関係な者にまでも影響を与える。

福成寺はその長い歴史の中で多くの人の願いと悲しみを背負ってきた。

肝食い事件の惨劇が語り継がれるのも、無辜の魂が未だ安らぐことなく、誰かに気づいてほしいと訴え続けているのかもしれない。


福成寺(肝食い寺)の地図

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【管理人】狐憑きのたる

狐憑きのたる

全国のウワサの心霊スポットを調査し、その魅力と恐怖を皆さんにお届けしています。