茨城県東海村に存在する「幽霊石碑(馬力神)」には、数多くの心霊現象が報告されている。昭和60年6月18日、新聞で「石碑に女の顔が浮かび上がる」との噂が報じられたことで、地元の見物客が殺到した。以降、この石碑は「幽霊石碑」として語り継がれている。今回は、幽霊石碑(馬力神)のウワサの心霊話を紹介する。
幽霊石碑(馬力神)とは?
幽霊石碑(馬力神)は、茨城県那珂郡東海村にある石碑である。
この石碑は、大正5年(1916年)に農耕馬を供養するために建てられたもので、石碑の中央には「馬力神」と草書体で刻まれている。
しかし、昭和60年に「馬」の文字に女性の顔が浮かび上がると報じられ、一躍注目の的となった。
ライトの当て方によっては、若い女性の顔だけでなく、乳飲み子を抱えた女性や、老人の姿が現れると語る者もいる。
これにより、「幽霊石碑」の名で広く知られるようになった。
幽霊石碑(馬力神)の心霊現象
幽霊石碑(馬力神)で語り継がれている心霊現象は以下の通りである。
- 石碑に浮かび上がる女性の顔
- 乳飲み子を抱える母親の姿が現れる
- 距離や角度によって異なる顔の見え方
- 見物客によって異なる心霊体験
これらの現象が、訪れる者に恐怖をもたらしている。
石碑に浮かび上がる女性の顔
「幽霊石碑(馬力神)」では、石碑中央の「馬」の文字にライトを当てると、若い女性の顔が浮かび上がるという現象が報告されている。
顔は明瞭ではないが、薄暗いライトの中で浮かび上がるその姿は見る者に戦慄を与える。
彼女の視線は石碑を見つめ、まるでそこに何かを宿しているかのような哀愁を感じさせるという。
深夜になると、表情がより鮮明に見えるとされ、訪問者を不安に陥れる。
乳飲み子を抱える母親の姿が現れる
石碑の左側に、乳飲み子を抱えた母親の姿が現れることがあるという噂も存在する。
ライトを特定の角度から当てると、赤子を抱く女性の姿が見えるとされており、この現象を目撃した人は口々に「哀れな母親がそこにいるようだ」と語っている。
この母親は、かつて石碑の供養対象であった農耕馬に関連する人物ではないかとの説もあり、哀しい運命を持つ者がこの地に取り残されていると考えられている。
距離や角度によって異なる顔の見え方
石碑に浮かび上がる顔は、見る人やライトの当て方によって変わることが多いとされている。
同じ場所に立っても人によって顔の表情や見え方が異なり、これは心理学的な「シュミラクラ現象」によるものではないかと考えられるが、真相は解明されていない。
ある者は若い女性の顔を見たと報告し、別の者は老女の姿が見えたと証言するなど、不気味な現象が続いている。
見物客によって異なる心霊体験
この石碑を訪れた人々は、それぞれ異なる体験をしている。
ある者は女性の顔が浮かび上がると感じ、またある者は赤ん坊を抱える母親の姿を目撃したという。
中には、顔の表情が恐怖に満ちていると感じる者もいれば、逆に穏やかな表情に見えると証言する者もいる。
この石碑が人々にさまざまな心霊体験を与えていることは間違いない。
幽霊石碑(馬力神)の心霊体験談
昭和60年6月、幽霊石碑が新聞に掲載されたことをきっかけに多くの見物客が訪れ、その場で顔を見た者、何も見えなかった者など、それぞれの体験が語り継がれている。
ある若者は石碑の顔をカメラに収めようと試みたが、現像した写真には謎の影が浮かび上がっており、それが女性の輪郭に似ていたという。
また、別の者はライトを当てた瞬間に冷たい風が吹き、誰もいないはずの周囲で足音が聞こえるなど、不気味な出来事が続いたと語っている。
幽霊石碑(馬力神)の心霊考察
幽霊石碑(馬力神)にまつわる心霊現象は、心理的要因や光の角度による錯覚だけでなく、石碑に宿る強い思念が関係しているのかもしれない。
大正時代に農耕馬の供養として建てられたこの石碑には、当時の人々の深い感謝と祈りが込められているが、それがかえって霊的な存在を引き寄せる要因となっている可能性がある。
過去にはこの顔の浮かび上がる現象を防ぐため、石碑に塗装が施されたが、霊的な影響が完全に消え去ることはなかったようである。
幽霊石碑(馬力神)は、歴史と共に多くの霊が眠る心霊スポットとして知られ、訪れる者に不思議な体験を与え続けている。
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