ごうやぶ遺跡は、戦国の世に散った武将たちの無念が色濃く残る場所である。長い時を経てもなお、そこには奇妙な現象や不気味な噂が絶えず語り継がれている。今回は、ごうやぶ遺跡にまつわるウワサの心霊話を紹介する。
ごうやぶ遺跡とは?

ごうやぶ遺跡は、岡山県にある備中高松城跡の一角、かつて三の丸総門のわきに位置していた場所に残る小さな遺跡である。
現在は田んぼの中にひっそりと柵で囲われ、一本の木柱と小さな祠が置かれているのみである。
この場所は、天正10年(1582年)に羽柴秀吉による有名な「備中高松城の水攻め」が行われた際、落城を覚悟した高松城主・清水宗治が切腹した後、その最期を追って宗治の兄・月清入道や家臣らが相次いで自刃し、さらに2人の家臣が互いに刺し違えて殉死したと伝わる場所である。
440年以上もの歳月を経てもなお、この小さな土地が保全され続けているのは、宗治への地元の深い敬意の証ともいえるが、それと同時に、悲劇の念が染みつき、容易に人を寄せつけぬ陰鬱な空気を漂わせている。
ごうやぶ遺跡の心霊現象
ごうやぶ遺跡の心霊現象は、
- 夜になると男性の霊が佇む姿が目撃される
- 木の周辺から複数の人のすすり泣く声が聞こえる
- 通りかかった車が急にエンストを起こす
- 小さな祠に手を合わせた後、強い頭痛や吐き気に襲われる
である。以下、これらの怪異について記述する。
まず、夜間に現れる男性の霊については、誰とも知れぬ武士姿の男が木の根元に佇み、じっとこちらを見つめてくるという。
声をかけるとふっと消えるが、その直後、足元から氷のような冷気が這い上がってくるともいう。
また、木の周囲から複数の人間のすすり泣きが聞こえる現象も報告されている。
声の主は見えず、ただ悲痛な嗚咽だけが深夜の田んぼに響き渡る。これが互いに刺し違えて死んだ家臣たちの怨嗟でないと、誰が断言できようか。
車で近くを通りかかった際にエンストを起こす例も後を絶たない。
整備されたばかりの車が突然止まり、ハンドルが異様に重くなる。
エンジンがかからず、ただ木柱の方を向いて立ち尽くすほかないという体験談もある。
さらに、小さな祠に軽い気持ちで手を合わせた者が、その場で激しい頭痛や吐き気に襲われ、しばらく立てなくなった事例もある。
翌日になっても頭痛が引かず、夢に鎧武者の影が現れたという話まで伝わっている。
ごうやぶ遺跡の心霊体験談
ある男性が夜、友人と肝試しのつもりでごうやぶ遺跡を訪れた。
懐中電灯を木の根元に向けた瞬間、薄い霧のようなものがゆらりと立ち上がり、その中から兜をかぶった男の顔が浮かび上がったという。
声をあげて逃げる途中、何度も背後から「待て」と小さく呼ぶ声が聞こえたが、決して振り返ることはできなかったそうだ。
別の女性は昼間に訪れ、何気なく祠を写真に収めた。帰宅後その写真を確認すると、木の陰から血の気の失せた顔がこちらを覗き込むように写っていたという。
その後数日間、夢の中で首を掻き切る武士の姿ばかりを見続け、精神的に追い詰められた結果、神社でお祓いを受ける羽目になったと語っている。
ごうやぶ遺跡の心霊考察
この土地には、敗れた武将たちの無念と、殿に殉じた家臣らの悲壮な忠義が刻まれている。
潔い死が武士の誉れとされた時代であっても、主を追って自ら命を絶つことの哀しみは計り知れない。
440年を超えて保全されてきた小さな祠と木柱は、地元の人々の敬慕と供養の心の現れである。
しかしその祈りと同時に、殉死者たちの血で濡れたこの場所には、深い怨嗟が今なお沈殿しているように思えてならない。
夜の闇に浮かぶ木の輪郭を目にしたとき、そこに立つのはただの影なのか、それとも自らの死を今なお抱き続ける武士たちの彷徨う魂なのか──。
その答えを確かめに、軽い気持ちで踏み入れるにはあまりにも危うい場所である。
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