広島県庄原市東城町に佇む「八反坊」には、無実の罪で餓死させられた男の怨念が今なおこの地に渦巻いているという。次郎丸家を呪い滅ぼした八反坊の祠には、今も男性の霊が現れ、丑の刻参りが行われるなど数々の怪異が囁かれている。今回は、八反坊にまつわるウワサの心霊話を紹介する。
八反坊とは?

八反坊とは、江戸時代初期に粟田の地に実在した人物である。
八反坊は年貢の割り当てや取り立てに関わる公事人であったが、分限者(富裕層)から理不尽な搾取や虐げを受ける弱い百姓たちの側に立ち、常に助けていたという。
そのため、百姓たちからは深く慕われていたが、反対に分限者や庄屋からは疎まれ、危険視されていた。
ある時、八反坊を消し去ろうと目論んだ分限者たちは無実の罪を捏造し、庄屋に訴え出た。
庄屋もまた八反坊を快く思っておらず、虚偽の罪を着せて牢に閉じ込め、村人をこれ以上煽動するなと脅迫した。
しかし八反坊はそれを拒み、牢内で餓死したのである。
八反坊の遺言に従い、百姓たちは庄屋の屋敷がよく見渡せるこの地に彼を丁重に葬った。
その後、庄屋の家には次々と不幸が襲いかかり、ついには絶えてしまったという。
こうして八反坊の墓には祠が建てられ、「八反坊」と呼ばれ崇敬を集める一方、いつしか呪詛の神として恐れられる存在にもなったのである。
八反坊の心霊現象
八反坊の心霊現象は、
- 男性の霊が現れる
- 丑の刻参りが今も行われている
- 八反坊の祠に呪いをかけに来る者が後を絶たない
- 八反坊を祀る祠の方向にある次郎丸家の屋敷跡が荒野と化した
である。以下、これらの怪異について記述する。
男性の霊が現れる
鬱蒼と茂る森の中、八反坊の祠へ続くわずか150メートルの小道を進むと、不意に冷たい風が頬を撫でる。
人気のない森の奥で、白装束のような人影がじっとこちらを見つめているという報告が後を絶たない。
祠の前で写真を撮ると、八反坊の顔と思しき男性の顔がはっきりと写り込むことがあるともいわれている。
丑の刻参り
八反坊の伝説があまりに強烈であるため、今もなおこの場所で丑の刻参りを行う者がいる。
夜中の二つ時、釘と藁人形を携えた黒装束の人影が森へ消えていくのを見たとの証言が複数ある。
五寸釘を打ちつけた木々は異様な形にねじれ、そこからは生気を吸われたかのように葉が落ちるという。
祠に呪詛を願いに来る者
かつて次郎丸家が呪われ一族滅亡へと追いやられたという逸話が広く知れ渡ると、祠には人を呪い殺したいと願う者が後を絶たなくなった。
祠の周囲の木には無数の釘跡が残り、血を流したかのような黒ずんだ痕が幹を覆う。
荒野と化した次郎丸家の屋敷跡
八反坊の遺言どおり、祠は次郎丸家を見下ろす場所に建てられた。
八反坊を死へ追いやった次郎丸家では代々怪死が相次ぎ、ついに昭和初期、最後の一人は落雷で命を落とした。
栄華を誇った屋敷跡は今や荒野と化し、草木さえ不気味にうねりながら生えている。
八反坊の心霊体験談
ある若者が肝試しにと八反坊の祠を訪れた際、ふざけ半分で「八反坊の呪いなんて迷信だ」と吐き捨てたという。
その直後、後頭部を思いきり殴られたかのような衝撃が走り、目の前が真っ暗になった。
友人に起こされ気づくと、首の後ろにはくっきりとした手形が残っていたという。
また別の者は、深夜に祠を訪れた際、誰もいないはずの森の奥から「返せ…返せ…」という声がかすかに響いてきた。
慌てて車に戻ると、フロントガラスには泥だらけの手形が無数についていた。
八反坊の心霊考察
八反坊はもともと弱き者を救った義に篤い人物であった。
それが無実の罪で餓死させられ、次郎丸家を呪い滅ぼす遺言を残したことから、怨霊へと変じたのかもしれない。
その強烈な怨念は祠となり今もこの地に根を張り続け、人々の恐怖と畏敬を同時に集めている。
だが一方で、八反坊の祠に願掛けをすると事業の成功や病の快癒などが叶うともいわれる。
弱者を救った八反坊の魂は、理不尽に虐げられる者には救いの手を差し伸べ、そうでない者には容赦なく罰を下すのかもしれない。
この地を訪れる者は、己の心にやましいところがないか深く問い直すべきであろう。
そうしなければ、静かに佇むあの祠の前で、決して見てはならないものと出会ってしまうかもしれないのだから。
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