宮崎県宮崎市にかつて存在した「紘田病院(こうだびょういん)」は、現在は解体されて更地となっているが、廃墟だった頃は“佐土原廃病院”とも呼ばれ、県内屈指の心霊スポットとして知られていた。今回は、紘田病院(跡地)にまつわるウワサの心霊話を紹介する。
紘田病院(跡地)とは?
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紘田病院(こうだびょういん)は、かつて宮崎県宮崎市佐土原町に存在していた中規模の病院である。
もともとは「久峰温泉病院」という名で温泉療養を主軸に運営されていたが、1989年に「紘田病院」と改称。
しかしそのわずか数年後、1992年頃に突如閉院となった。
内科、耳鼻科、リハビリテーション科、歯科を備えた病院であったが、営業当時から関係者の間で幽霊の噂が絶えなかった。
とくに温泉治療室では、患者が入浴中に溺死したという怪事件があり、それを境に「霊が出る病院」として看護師の間でも恐れられるようになったという。
やがて廃墟となった病院は、地元の若者たちの肝試しの場となり、「佐土原廃病院」などと呼ばれながら心霊スポットとして語り継がれていった。
2005年7月には解体され、現在は更地となっているが、そこに漂う“気配”は今も消えていない。
紘田病院(跡地)の心霊現象
紘田病院(跡地)の心霊現象は、
- 老婆の霊が現れる
- 中年の男女の「ささやき声」が聞こえる
- 解体後も奇妙な音や気配がする
- 廃墟時代、車椅子が勝手に動いていたとの報告
である。以下、これらの怪異について記述する。
老婆の霊が現れる
病院の旧温泉治療室跡では、白髪を振り乱し浴衣をまとった老婆の霊が度々目撃されていたという。
浴室の中で虚空を見つめながら微動だにせず立っている姿や、背後から誰かに見られているような気配を感じて振り返ると、一瞬だけそこに立っていたという証言がいくつも残されている。
彼女は溺死した患者の霊とされるが、その正体は今も不明である。
中年の男女の「ささやき声」
とある体験談によると、2階の病室から男女の声で「囁くような話し声」が聞こえてきたという。
その声は言葉としては認識できず、しかも日本語ではなかったと語られている。
言語ではなく「音」として頭に直接響くようなそのささやきに、多くの訪問者が恐怖のあまり逃げ出したという。
解体後も奇妙な音や気配がする
紘田病院はすでに解体されて更地となっている。
しかし、それにもかかわらず現地を訪れた者が「誰かがいる気配」や「足音」、「耳鳴りのようなノイズ」を感じるという報告が絶えない。
建物は無くなっても、そこに宿っていた“何か”は今も地に留まり続けているようだ。
廃墟時代、車椅子が勝手に動く
昼間に訪れた若者たちが、病院敷地内で車椅子が風もないのに勝手に動いていたのを目撃したという。
中にはその車椅子に何かが座っていた、という話もあり、その後に体調を崩した、妙な夢を見たと証言する者もいた。
紘田病院(跡地)の心霊体験談
これは今から約30年ほど前、まだ病院の廃墟が残っていた頃の実話である。
当時18歳の若者3人が昼間に紘田病院跡地へ興味本位で訪れた。
フェンスの隙間から敷地内に入ると、駐車場の中央にポツンと置かれた車椅子を発見。
恐怖と興奮が入り混じる中、彼らは破られた入口から院内へ侵入した。
建物内はひどく荒れており、階段を上って2階へ行ったときのこと。
誰もいないはずの病室の一つから、突然「ささやき声」が聞こえてきた。
それは明らかに中年の男女の声。
しかし内容は全く聞き取れず、ただ異様な圧と響きだけが頭に直接届いたという。
恐怖で逃げ出した2人を残し、1人は取り残された。後に涙と雨に濡れながら合流した彼の携帯には、誰からとも知れぬ「#」の番号から着信があったという。
一連の出来事に関係があるのかは誰にも分からない。
だが、その声が“この世のもの”でなかったことだけは、体験者全員の一致する証言である。
紘田病院(跡地)の心霊考察
紘田病院(跡地)における心霊現象の多くは、「場所に残された未浄化の念」が原因と考えられる。
生前に苦しみや未練を抱えたまま亡くなった者たち――とくに療養中の溺死という不慮の死を遂げた者や、病に倒れた人々の「最期の思念」が、強くこの場所に焼き付いているのではないだろうか。
医療の場でありながら、命が失われ、恐怖や悲しみが渦巻いた空間は、それ自体が“霊を呼び寄せる器”となる。
また、病院にまつわる霊の多くは“ささやく”という形で現れることがある。
これは、死の間際に言葉を発することができなかった魂が、かすかな声で訴えかけているのかもしれない。
そして解体された今なお、その声や気配が報告されているという事実。
つまり、建物ではなく“土地そのもの”に霊的な記憶が刻まれていると考えるのが自然であろう。
紘田病院(跡地)は、ただの心霊スポットではない。
そこは、今もなお誰かが“生きていた証”を囁き続けている、静かなる霊の場所なのかもしれない。
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