笠岡市の古城山公園近くにひっそりと佇む観音慰霊碑(観音端供養碑)には、江戸時代から続く数多の悲劇と、それにまつわる怪異が今なお語り継がれている。自殺の名所となった過去を持つこの場所には、無念を抱いた者たちの霊が彷徨っているとも囁かれる。今回は、観音慰霊碑(観音端供養碑)にまつわるウワサの心霊話を紹介する。
観音慰霊碑(観音端供養碑)とは?
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観音慰霊碑(観音端供養碑)は、岡山県笠岡市の古城山公園付近に位置する石碑である。
元は江戸時代後期、笠岡城山の西端に存在した観音堂の傍に建立されたものと伝えられる。
当時、この周辺では貧困と将来への絶望から、海へ向かって身を投げる者が後を絶たなかった。
笠岡の町や港が寂れるほど自殺者が増え、これを憂慮した庄屋が六条院村(現・浅口市鴨方町)の名僧に相談し、祈願法要を執り行った。
その際に建立されたのがこの慰霊碑である。
この碑には、その名僧自らが筆を執った文字が刻まれているとされ、建立以降、自殺者の連鎖は収まったと伝わる。
しかし明治以降、廃城と土地開発により碑は一度姿を消す。やがて明治期に碑の下半分が、さらに大正期に上半分が海中から発見され、現在の場所にて上下を繋ぎ合わせて祀られるに至った。
現在は倉庫の裏手にひっそりと佇み、看板には当時の悲劇の経緯が淡々と綴られている。
文字の薄れた案内板は、それだけでも異様な空気を纏っている。
観音慰霊碑(観音端供養碑)の心霊現象
観音慰霊碑(観音端供養碑)の心霊現象は、
- 正体不明の霊が現れる
- 夜中に碑の周囲から呻き声が聞こえる
- 石碑を写真に撮ると、不自然な影が写り込む
- 慰霊碑の前で無念そうに佇む人影を目撃する
である。以下、これらの怪異について記述する。
この石碑の周辺では、夜間になると突如、誰もいないはずの場所から呻くような声が聞こえるという話がある。
その声は弱々しく、時に泣いているようにも聞こえるそうだ。
また、碑を訪れた者が写真を撮ると、そこには人間の影とも霧ともつかぬ黒い形が不気味に写り込むことがある。
単なる偶然と片付けるには不自然な位置に現れることが多く、現場を知る地元住民の間では「呼ばれた者が撮ると写る」と囁かれている。
さらに、薄暗い時間帯に碑の前を通ると、まるで誰かが立ち尽くしているかのような気配を感じることがあるという。
視界の端に白い着物のようなものが揺らめくのを見たという証言もあり、それがかつて海に身を沈めた者たちの未練の現れなのかもしれない。
観音慰霊碑(観音端供養碑)の心霊体験談
ある地元の男性は、夜釣りの帰りにこの慰霊碑の前を通りかかった際、誰もいない碑の前に俯いて立つ白い影を見たという。
声を掛ける勇気もなく足早にその場を去ったが、ふと後ろを振り返ると、もうそこには何もいなかった。
また別の女性は、友人と肝試しに訪れた際、碑を撮影したスマートフォンの画面に、顔のようなものが無数に浮かんでいたと話す。
恐ろしくなってすぐにその写真を削除したが、その後しばらく悪夢に悩まされたという。
観音慰霊碑(観音端供養碑)の心霊考察
この場所に纏わる怪異は、単なる偶然や気のせいで片付けるにはあまりに多い。
江戸末期、政情不安と飢饉の影響で将来に絶望し、古城山から海へと身を投じた数多の無念が、この碑を依り代として今なお彷徨っているのではないだろうか。
慰霊碑は確かに建立以降、自殺者を止めたという。
しかし、それは果たして成仏を意味するのか。
それとも碑の周囲に彼らの苦しみや絶望を封じ込めただけなのかもしれない。
この場所を訪れる際には、決して軽い気持ちで近づかぬことを勧める。
知らず知らずのうちに、その怨嗟に触れてしまうかもしれないからである。
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