日下新池(孔舎衙健康道場跡)は、かつて遊園地として賑わい、その後は結核療養施設として多くの患者が最期を迎えた歴史を持つ場所である。池へ身を投げた者の噂や、夜に現れる不可解な人影など、今も消えない怪異が語られている。今回は、日下新池(孔舎衙健康道場跡)にまつわるウワサの心霊話を紹介する。
日下新池(孔舎衙健康道場跡)とは?
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日下新池は、かつて“天女ヶ池”とも呼ばれた東大阪市日下町のため池である。
池の周辺は大正時代に観光地として整備され、「日下遊園地」や「日下温泉」、料亭旅館などが立ち並び、多くの客で賑わった歴史を持つ。
しかし、生駒山上遊園地の開園により客足は急減し、施設は次々と閉業した。
その後、昭和12年(1937)には日下温泉の建物が改築され、結核療養施設「孔舎衙健康道場」として再利用された。
全国から患者が集まり、最盛期には100名近くがこの地で療養していたが、戦中の物資不足により昭和17年(1942)に閉鎖された。
この場所は、太宰治の小説『パンドラの匣』の舞台としても知られている。
太宰と文通の交流があった青年患者が残した病床日記をもとに執筆された作品であり、施設の存在を文学史にも残すものとなった。
しかし、結核に有効な治療薬のなかった時代であり、患者の中には死期を悟って池へ身を投げる者もいたと伝えられている。
そのため、池の周囲には今も自殺者の霊がさまよっていると噂されているのである。
日下新池(孔舎衙健康道場跡)の心霊現象
日下新池(孔舎衙健康道場跡)の心霊現象は、
- 池のほとりを歩く“人影”の目撃
- 水面から聞こえる“誰かの呼吸音”
- 夜になると背後からついてくる足音
- 池の北側(旧療養所跡)に漂ううめき声の噂
である。以下、これらの怪異について記述する。
池のほとりを歩く人影は、夕暮れから夜間にかけて多く報告されている。
暗がりの中でゆっくりと池沿いを歩く影法師のような姿で、近づくとふっと消えるとされる。
それが自殺者の姿であるという噂は、かつてここで命を絶った患者たちの歴史と重ねられて語られている。
また、水面から聞こえる呼吸音は、静かな夜に不意に耳へ届き、波紋が立っていないのに「はぁ…はぁ…」という弱い息遣いだけが確かに聞こえるとされる。
溺れた者の最期の声が残っているのではないかと囁かれている。
背後からついてくる足音は、ハイキング帰りに池へ差し掛かった者がしばしば体験するもので、足音は近づいたり離れたりを繰り返す。不審に思い振り返ると誰の姿もないため、恐怖が増すという。
そして池の北側、旧・孔舎衙健康道場跡では、夜になるとうめき声や低い呻きが風に混じって聞こえるという話が残されている。
結核療養所として使われた歴史を知る者は、その声を当時の患者の苦悶の残響だと捉えている。
日下新池(孔舎衙健康道場跡)の心霊体験談
ある地元住民は、夕方、池の縁に広がる景色を眺めている最中、突然、背後で「ザッ…ザッ…」と砂利を踏む足音を聞いたという。
散歩する人影かと思い振り返ったが、道には誰もいなかった。風もなく、水面も静まり返っていたため、あまりの不気味さに足早にその場を離れたと語っている。
また、別の訪問者は、池に近づいた瞬間、水面から「ひゅう…ひゅう…」という弱い息のような音を聞いたという。
水鳥もおらず、周囲には人影もない時間帯だったため、耳元で誰かが息をしているように感じ、背筋が強く冷えたと話している。
日下新池(孔舎衙健康道場跡)の心霊考察
日下新池は、かつて遊園地として賑わい、その後は結核療養所として多くの患者を受け入れた過去を持つ。
景勝地としての明るい面と、死と向き合わざるを得なかった暗い一面が、同じ土地に濃く重なっているのである。
患者の中には自らの死期を悟り、池へ身を投げた者がいたとされる。
その歴史は土地の記憶となって沈殿し、現在の怪異現象へ結びついていると考えられる。
とくに、足音や呼吸音といった“生”を感じさせる現象は、未練や恐怖を抱えたまま亡くなった者の残留思念である可能性が高い。
静けさと美しさを持つ池でありながら、夜になると急に雰囲気が変わると語られるのは、その背後にこうした歴史が存在するためである。
過去の悲しみと、ここで終わりを迎えた者の思念が、今なお池の周囲に薄く漂っているのではないかと推察される。

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