徳島県阿南市の那賀川に架かる那賀川歩道橋(那賀川橋梁)は、昭和初期に完成したJR牟岐線の鉄橋であり、戦時中には空襲で多数の犠牲者が出た悲劇の地である。今回は、那賀川歩道橋(那賀川橋梁)にまつわるウワサの心霊話を紹介する。
那賀川歩道橋(那賀川橋梁)とは?

那賀川歩道橋(那賀川橋梁)は、阿南市那賀川町中島から住吉町西畭にかけてJR牟岐線が那賀川を渡る長大な鉄橋である。
橋長470.65メートル、1径間46.2メートルの直弦ワーレントラスが10連並び、幅5メートル、高さ4メートルの巨大な鋼鉄構造を誇る。
昭和11年3月に完成し、当時は渡し船しかなかった地域において重要な交通路となったが、その利便性の裏で列車による人身事故が相次いだ。
昭和49年、徳島県は国鉄と協議し、橋の両側に幅1.5メートルの歩道橋を併設し、県道大林那賀川線として管理している。
この橋には忘れてはならない惨事がある。昭和20年7月、米海軍のグラマン戦闘機2機が飛来し、那賀川橋梁を南進中の4両編成列車を狙って機銃掃射を行った。
鉄橋上の列車は逃げ場を失い、乗客30名以上が命を落とした。
川岸には慰霊碑が建立され、その悲劇は今も地元の人々の記憶に刻まれている。
那賀川歩道橋(那賀川橋梁)の心霊現象
那賀川歩道橋(那賀川橋梁)の心霊現象は、
- 深夜に歩道橋を渡ると、後ろから足音がついてくる
- 川岸の慰霊碑付近で白い人影が立っているのを見たという証言
- 列車が通過する瞬間、橋の欄干から身を乗り出す影が現れる
- 欄干から、下の川面に落ちていく黒い影を見たという体験談
である。以下、これらの怪異について記述する。
まず、「後ろから足音がついてくる」現象についてである。
深夜の橋は街灯もまばらで、風が吹くたび鉄骨が低く唸る。
その中で、確かに自分の足音とは異なるリズムで、湿った足音が追いかけてくるという。
振り返っても誰もおらず、足音は橋の中央付近で唐突に消える。
慰霊碑付近での「白い人影」の目撃は、戦争で命を落とした犠牲者との関連が囁かれる。
目撃者は、橋のたもとでうなだれるように立つ白い影を見た直後、急激な吐き気と寒気に襲われたと証言している。
列車通過時の「欄干から身を乗り出す影」は、戦時中や事故で鉄橋から転落した者の残留思念ではないかとされる。
列車の騒音にかき消されて声は聞こえないが、その影は列車を追いかけるように欄干を移動していく。
最後に、「川面へ落ちていく黒い影」。
これは歩道橋の欄干越しに見える川面へ、人の形をした黒い影が音もなく落下する様が確認されたという。
直後に川を覗き込んでも、水面には波紋すら広がっていない。
那賀川歩道橋(那賀川橋梁)の心霊体験談
ある男性は、深夜0時頃に那賀川歩道橋を一人で渡っていた。
半分ほど進んだ地点で、後方から規則的な足音が聞こえ始めた。振り向いても誰もいない。
足音は次第に速まり、男性が歩を止めると同時にピタリと消えた。
胸騒ぎを覚え、早足で渡りきったが、慰霊碑の前に差しかかった瞬間、視界の端に白い布のようなものが揺れた。
怖くなり一目散に立ち去ったが、その夜、男性は夢の中で橋の上に立ち尽くす白い人影を何度も見たという。
那賀川歩道橋(那賀川橋梁)の心霊考察
那賀川歩道橋における心霊現象の多くは、戦争と事故という二つの惨事に起因していると考えられる。
昭和20年の空襲では、逃げ場を失った列車の乗客が次々と命を落とし、その無念は川風と鉄の軋みに溶け込んで今も漂っているのかもしれない。
また、完成当初から相次いだ人身事故の記録も、この場所に重い死の気配を刻み付けた。
深夜に聞こえる足音や人影の正体は、橋に取り憑いた亡霊なのか、それとも訪れた者の潜在意識が作り出す幻覚なのか。
だが、訪問者が共通して「背後に何かがいる」と感じることは、この橋がただの構造物ではなく、死者の記憶を留める器であることを示している。
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