南條元秋・呪いの木のウワサの心霊話

かつて武将が非業の死を遂げた地に、呪われた椎の木が存在した。今もその怨念は消え去ることなく語り継がれているという。今回は、南條元秋・呪いの木にまつわるウワサの心霊話を紹介する。


南條元秋・呪いの木とは?

南條元秋・呪いの木の外観

「南條元秋・呪いの木」とは、鳥取県青谷町長和田の辻堂跡地にかつて存在していた椎の大木である。

この木には、戦国武将・南條元秋の怨霊が宿っていたとされ、長年にわたり地元住民の間で「決して近づいてはならない木」として恐れられてきた。

天正8年(1580年)に起きた長和田・長瀬川の戦い――俗に「長和田の十三日崩れ」と呼ばれる激戦において、南條軍の総大将であった南條元秋は、吉川元春の家臣・杉原盛重の軍勢と交戦。元秋は壮絶な戦いの末に深手を負い、落馬を繰り返し、辻堂で介抱を受けていた。

しかし、重臣・津村基信が元秋を心配して駆けつけたところ、これを敵の襲撃と誤認した家臣が、自らの命を守るために元秋の首を刎ねたという。

非業の死を遂げた元秋の怨念は、傍らに生えていた椎の木に宿り、やがて「呪いの木」と呼ばれるようになる。

地元では木を傷つけた者が祟りに遭うと恐れられ、供養のために五輪塔が建てられたが、その恐怖は完全に鎮まることはなかった。


南條元秋・呪いの木の心霊現象

南條元秋・呪いの木の心霊現象は、

  • 男性の霊が現れる
  • 祟りにあう

である。以下、これらの怪異について記述する。

まず第一に、もっとも多く報告されているのが「男性の霊が現れる」という現象である。

深夜に辻堂跡を訪れた者の前に、血まみれの甲冑姿の男が立ち尽くしていたという証言が後を絶たない。

その霊はじっと訪問者を見つめるのみで、何も語らないが、その場にいた者は強烈な寒気と吐き気に襲われ、恐怖のあまり失神した例もあるという。

次に「祟りにあう」という現象である。平成12年、土地を管理していた寺院の住職が、呪いの木を伐採するよう業者に依頼した。

しかし、木が切り倒されてから間もなく、住職は原因不明の高熱に倒れ、急死してしまった。

この出来事は地元でも大きな話題となり、「やはり木には何かが宿っていた」と囁かれるようになった。

そして、これらに加えて「心霊の噂が絶えない」という点も特筆すべきである。

地元では「夜に辻堂跡を通ると声が聞こえる」「木の根元から呻き声がする」といった話が語り継がれており、地域の若者の間では「肝試しで行くと帰れなくなる」と恐れられている。


南條元秋・呪いの木の心霊体験談

ある青年が、興味本位で友人と深夜に「呪いの木」の跡地を訪れた。ふたりで懐中電灯を手に進むと、石碑の前で異様な静寂に包まれた。

次の瞬間、背後から「……うらめしや……」というかすかな声が聞こえた。

慌てて振り向いた彼らの目に映ったのは、月明かりに浮かび上がる、血に濡れた鎧の男。恐怖のあまり動けなくなった青年の肩に、確かに冷たい手が触れたという。

彼は帰宅後、原因不明の高熱に悩まされ、一週間近く寝込んだ。病院での検査でも異常は見つからず、回復した後もその夜の記憶は断片的で、夢か現か曖昧なままだったという。


南條元秋・呪いの木の心霊考察

南條元秋の死は、敵に討たれたのではなく、味方の手による裏切りと誤解によるものであった。

忠義の武将が無念の最期を遂げ、その霊が木に宿ったという伝承には、一種の怨念の凝縮を感じさせる。

霊的存在が現れる場所の多くは、強烈な情念が渦巻いた土地であるが、この「呪いの木」もまさにその典型であろう。

また、木を伐採した住職の急死や、付近で頻発する怪異は単なる偶然では済まされない。

木そのものが霊的な媒体となっていたとすれば、無闇に手を加えることがタブーであったのは当然とも言える。

地元に残る五輪塔や石碑は、今も元秋の魂を慰めるために存在している。

だが、それが本当に霊を鎮めているのか、それとも封じ込めているだけなのか――今なお、誰にも分からないのである。


南條元秋・呪いの木の地図

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