扇町公園は、江戸期の刑場跡や大空襲の悲劇など、数多の死と向き合ってきた土地であり、現在も“開かずの祠”や空襲犠牲者の霊といった不気味な噂が途絶えない場所である。今回は、扇町公園にまつわるウワサの心霊話を紹介する。
扇町公園とは?

扇町公園は大阪市北区に位置し、市街地の中心にある広い都市公園である。
現在は市民の憩いの場として知られているが、その土地には古くから数多くの死が積み重なってきた歴史がある。
江戸時代には刑場があり、明治期には大阪監獄が設置され、戦時中には空襲による多数の犠牲者が発生した場所でもある。
穏やかな公園の景観の裏側には、長い年月を通して“死に触れ続けた土地”としての暗い背景が横たわっているのである。
扇町公園の心霊現象
扇町公園の心霊現象は、
- フェンスで封鎖された「開かずの祠」にまつわる祟り
- 戦時中に生き埋めになった空襲犠牲者の霊
- 古いプール跡で聞こえる子供の声
- 夕暮れに現れる兵隊の幽霊
である。以下、これらの怪異について記述する。
開かずの祠(八重垣大明神)
扇町公園の南端、阪神高速入口に接する場所には、金網フェンスで厳重に囲われた小さな祠がある。
綱敷天神社によって管理されているものだが、入口は固く施錠され、一般人は内部へ足を踏み入れることができない。
外側から見ても、境内は荒れ放題であり、灯籠は傾き、足場は崩れ、内部の植物は伸び切っている。
まるで“誰も触れてはならない場所”として放置されている印象が強い。
この祠には、江戸時代の悲恋と怨念がまつわる。
「与八」と「お糸」という男女、そしてお糸に執着した男「十三郎」。
十三郎の逆恨みによって与八は即死、お糸も重傷を負い、その後お糸は「悪霊となりこの地に残り呪い続ける」と言い残し自害したという。
この悲劇から70年後、そっくりな事件が再び起こり、人々は祟りを恐れて八重垣姫を祀る祠を建てたとされる。
祠が施錠されている理由は“管理の都合”として説明されるが、実際は祟りを恐れ、誰も触れないように封じているとも語られる。
閉ざされたささやかな空間に、何が今も沈んでいるのかは不明である。
空襲犠牲者の霊
公園の南東部には、かつて防空壕があったとされる。
大阪大空襲の際、人々はそこに逃げ込んだが、爆弾が直撃し入口が埋まり、200人以上が生き埋めになったと伝わる。
遺骨は掘り出されず、そのまま地中に眠っているという噂が残る。
かつて公園にあった旧プールでは、「水中で子供の声が聞こえる」という話が多く語られていた。
現在も飛び込み台だけがオブジェとして公園内に残っているが、その周辺では夕方になると兵隊の霊が姿を見せるという証言が後を絶たない。
また、この地は明治期に堀川監獄が設置されていたこともあり、囚人たちの無念も積み重なっている。
土地そのものが“死者の層”でできていると言っても過言ではない。
扇町公園の心霊体験談
昼間の扇町公園は親子連れや散歩客で賑わい、特に異変を感じることは少ない。
しかし、これが夜になると様相が変わる。
複数人で歩けば問題はないが、1〜3人という少人数になると、急に影の気配が近づくような感覚に襲われることが多いという。
“誰かに付いてこられた”
“背後を通ったはずの人影が途中で消えた”
といった報告もある。人通りの少ない夜の公園という危険性もあるが、霊的な気配が濃くなるのも事実である。
土地の歴史を考えれば、夜の訪問は極力控えるべきである、と語られている。
扇町公園の心霊考察
扇町公園の心霊現象は、“何か一つの事件”に起因するものではなく、時代ごとに重ねられた「死」と「怨念」が複合的に残った結果であると考えられる。
刑場、監獄、空襲、生き埋めという悲惨な出来事が重なり合い、土地そのものが不浄化してしまったのである。
その象徴が「開かずの祠」であろう。荒れた境内が放置され、祠が頑なに閉ざされていることは、単なる管理不行き届きでは説明しきれない。
地元の人々が“触れてはならない場所”として暗黙に受け継いできた気配がある。
また、空襲の犠牲者に関する噂は、戦後長い年月が過ぎてもなお消えずに残っている。
特に子供の声や兵隊の霊の出現は、戦時の記憶が最も強く表面化している部分である。
土地の歴史、残された遺骨、祠の封印――これらが複合し、扇町公園は“表と裏の顔を持つ公園”となった。
昼間の賑わいの裏で、夜になると静かに顔を出す影がある。
扇町公園の心霊現象は、消えることのない過去の断片が、今もそこに留まり続けている証左であると言える。






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