旧尾道トンネル(旧尾道鉄道4号トンネル)のウワサの心霊話

旧尾道トンネル(旧尾道鉄道4号トンネル)は、広島県尾道市の山間に今もなお静かに口を開ける古い煉瓦隧道である。かつてこの場所では列車の脱線事故により多くの命が失われ、以降、母子の霊や兵士の霊が現れるという不気味な話が絶えない。今回は、旧尾道トンネル(旧尾道鉄道4号トンネル)にまつわるウワサの心霊話を紹介する。


旧尾道トンネル(旧尾道鉄道4号トンネル)とは?

旧尾道トンネル(旧尾道鉄道4号トンネル)の外観

旧尾道鉄道4号トンネルは、かつて広島県尾道市と御調町を結んでいた尾道鉄道(旧尾道軽便鉄道)の一部として1915年頃に築かれた煉瓦造りの隧道である。

尾道鉄道は1925年に開業し、鉄道輸送の時代を支えてきたが、利用客の減少やモータリゼーションの波に抗えず1964年に全線廃止となった。

廃線後、多くのトンネルは道路転用に際し原型を失ったが、この4号トンネルだけは奇跡的に当時のまま残され、現在は農道として使われている。

内部は赤煉瓦のアーチと石積みの側壁が陰鬱に続き、照明は一切なく、夏であっても冷気が肌を刺す。


旧尾道トンネル(旧尾道鉄道4号トンネル)の心霊現象

旧尾道トンネル(旧尾道鉄道4号トンネル)の心霊現象は、

  • トンネル内部に女性の霊が立っているのを見たという証言
  • 事故の犠牲者とされる母子の霊が夜中に佇んでいる
  • 軍服姿の兵隊が列を成して無言で行進する
  • トンネルに入ると何者かに肩を掴まれる感触がする

である。以下、これらの怪異について記述する。

このトンネルが心霊スポットとして語られるようになった直接の原因は、終戦後間もない1946年、御調から三成間を走行中の列車が脱線転覆し、37名もの死者と100名を超える負傷者を出した惨事にある。

血に染まった瓦礫の中、家族を探し叫ぶ声が夜の闇に消えていった。

以降、このトンネル周辺では数々の異変が起こり始めた。

夜中にトンネルを通ると、濡れた着物を引きずる音が背後から聞こえ、振り返ってもそこには誰もいない。

煉瓦の壁面に手形のような染みが浮かび上がっては消えるともいう。

また、戦争で散った兵士たちの霊だろうか、薄暗いトンネル奥で複数の軍人が黙々と行進しているのを見たという報告もある。

彼らの顔は影に溶けて判別できないが、確かに足音だけは耳にまとわりつくように残るのだ。

さらには、子を抱えた女が俯いて立ち尽くし、視線を感じて目を合わせた瞬間、女の顔が崩れ落ち血に塗れた白骨が剥き出しになっていたという話もある。

トンネルを出た後も、その母子が後をつけるかのように気配が続くという。


旧尾道トンネル(旧尾道鉄道4号トンネル)の心霊体験談

ある夏の深夜、興味本位で訪れた三人組の若者がトンネルを歩いていた。

途中、先頭の男が突然「今、誰かに肩を掴まれた」と怯え出したが、他の二人には何も見えなかった。

冷たい汗を流しながら先へ進もうとした瞬間、トンネルの出口付近で誰かが立っている影を見つけた。

近づくとそれは血の気の失せた女と子供であり、彼らと目が合った瞬間、女の顔が裂けて笑ったという。

悲鳴を上げてトンネルを飛び出した三人だが、その後もしばらく夜中になると、自室の窓の外から「コツ…コツ…」と何かが這うような音が聞こえてきたそうである。


旧尾道トンネル(旧尾道鉄道4号トンネル)の心霊考察

このトンネルに纏わる怪異は、1946年の大量死者を出した事故の影響が色濃く残っているのは疑いようがない。

急造された路線ゆえの無理な設計や、戦後の混乱による整備不足が生んだ悲劇である。

あまりに多くの命が無念のまま散ったことで、その怨嗟が煉瓦や石垣に染み付き、今もなお人を呼び寄せては苦しみを再現し続けているのではなかろうか。

また、母子や兵士の霊が多く目撃されるのは、この地がかつて戦争と家族の生き別れが交錯した場所であるためだろう。

何度も廃止や再利用の計画が立てられながら、未だに当時の姿を保つこのトンネルが、死者の世界と現世を繋ぐ隙間となっているのかもしれない。


旧尾道トンネル(旧尾道鉄道4号トンネル)の地図

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【管理人】狐憑きのたる

狐憑きのたる

全国のウワサの心霊スポットを調査し、その魅力と恐怖を皆さんにお届けしています。