旧志戸坂トンネルは、1935年に開通し1981年に閉鎖された歴史ある地下通路であるが、戦時中の惨劇や不可解な事故の記憶が残り、深夜には老婆や白装束の女性、事故死した家族の霊などが出没するという。今回は、旧志戸坂トンネルにまつわるウワサの心霊話を紹介する。
旧志戸坂トンネルとは?

旧志戸坂トンネルは、岡山県英田郡西粟倉村坂根と鳥取県八頭郡智頭町駒帰を結ぶ旧国道373号上に位置する隧道である。
1935年(昭和10年)に開通し、戦前から戦後にかけて地域の重要な交通路として機能したが、1981年(昭和56年)に新たな志戸坂トンネルが開通したことに伴い、旧トンネルは廃止・閉鎖された。
かつては多くの市民がこのトンネルを通じて移動し、戦時中には避難路や防空壕の役割も果たしたという。
さらに、戦時中や戦後初期には、捕虜として労働に従事した者が掘削作業を行ったとの伝承もあり、その際に陥没事故が発生し、多くの命が奪われたという悲劇的な歴史がある。
これらの歴史的背景が、現在の旧志戸坂トンネルに対する不吉な噂の源流となっているのである。
旧志戸坂トンネルの心霊現象
旧志戸坂トンネルの心霊現象は、
- 老婆の霊が現れる地蔵尊の影
- トンネル前の広場のトイレから襲い来る黒い影
- 内部に散在する土入り発泡スチロールが放つ異様な雰囲気
- 白装束の女性の霊および交通事故で命を落とした家族の霊が出没する
である。以下、これらの怪異について記述する。
まず、旧志戸坂トンネルへのアプローチとなる峠道途中には、ひっそりと建っている地蔵尊が存在する。
伝承によれば、このお堂には四体のお地蔵が並んでおり、そのうち一体は首が取れて落ちた状態であるとされ、老婆の霊が宿っているとの噂がある。
訪れる者は、このお地蔵の前を通る際、まるで老女の哀れな視線を感じるという証言を残している。
次に、トンネル前の広場には、公衆トイレが設置されているが、夜間になるとこのトイレから黒い影が襲い来るという報告がある。
目撃者によれば、トイレ付近の暗がりから、不自然な動きとともに黒い影が現れ、身体に触れたかのような不快感に襲われるとのことである。
また、トンネル内部は、かつての使用形態を思わせるかのように、土の入った発泡スチロールが並んでいるが、通常の家庭菜園で見かけるものとは異なり、暗闇の中で不気味な存在感を放っている。
これらの発泡スチロールは、何らかの理由でその配置が固定され、見る者に異様な印象を与え、まるで無数の亡霊が囁くかのような空気を醸し出している。
さらに、旧志戸坂トンネル内では、白装束をまとった女性の霊が目撃されるという噂がある。
彼女は、交通事故により命を落とした家族の一員であるとの説もあり、薄暗い通路にふわりと現れては、儚く消えていく様は、まるで過ぎ去った悲劇の残像のようである。
かつて、不可解な現象を鎮めるために二度のお祓いが行われたが、いずれも効果はなく、その怨念が未だに解消されていないことが伺える。
また、戦時中、第一次捕虜として掘削作業に従事した者が関与したとの伝承や、陥没事故で亡くなった者の霊が現れるという噂も根強く、これらの悲劇的な歴史が、旧志戸坂トンネル全体に暗い影を落としているのである。
旧志戸坂トンネルの心霊体験談
実際に旧志戸坂トンネル周辺を訪れた体験者の中には、深夜に峠道を歩いている際、ふとお地蔵尊の前を通りかかったとき、まるで老女の泣き声が耳に届いたと証言する者がある。
また、トンネル前の広場近くのトイレからは、黒い影が急に現れ、身体に触れるかのような感覚を覚えたという報告もある。
さらに、ある訪問者は、トンネル内部で白装束の女性の姿をかすかに捉えたが、その瞬間、何かに取り憑かれたかのような不安と恐怖に襲われ、急遽その場を後にせざるを得なかったと語っている。
これらの体験談は、旧志戸坂トンネルが単なる老朽化した建造物ではなく、過去の悲劇と怨念が今もなお宿る、恐るべき心霊スポットであることを裏付けている。
旧志戸坂トンネルの心霊考察
旧志戸坂トンネルにおける心霊現象は、その歴史的背景と環境要因が複合的に作用した結果であると考えられる。
1935年の開通以降、長きにわたり市民の避難路として利用されたこと、また戦時中や掘削作業中に発生した惨劇が、負のエネルギーとしてこの地下通路に蓄積された可能性が高い。
さらに、トンネル前に建つ地蔵尊のお堂や、そこで目撃される老婆の霊、さらには白装束の女性の霊といった現象は、個々の悲劇的な死や怨念が具現化したものと考えられる。
閉鎖後、地域でシイタケ栽培や漬物生産の施設として再利用されたという事実は、外部からの人の出入りが限定的であり、むしろ負のエネルギーが静かに積もる環境を助長している可能性がある。
これらの要素が相互に影響し合うことで、旧志戸坂トンネルは、現役時代とは一変し、今や心霊スポットとしてその名を馳せるに至ったのである。
なお、噂の真偽については議論が分かれるが、少なくとも多くの訪問者が実際に恐怖体験をし、その体験が地域の伝承として確実に蓄積されていることは確かである
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