かつて埼玉県さいたま市に存在した大砂土踏切跡は、バスと列車の衝突事故により、多くの犠牲者を出した悲劇の現場である。現在では踏切は廃止され陸橋となったが、事故の記憶は残り、今もなお心霊現象が報告されている。今回は、大砂土踏切跡のウワサの心霊話を紹介する。
大砂土踏切跡とは?
大砂土踏切跡は、昭和25年(1950年)に起きた大惨事の舞台である。
この踏切は原市街道と東北本線の交差地点に位置し、事故当日は運転手が遅れを取り戻そうと、遮断機が下りていないことを確認して無理に進入したところ、列車に衝突された。
当時、列車は時速80キロの速度でバスを200メートルほど引きずり、多くの乗客の命が奪われた。
この悲劇の後、昭和40年代に陸橋が建設され、踏切は消え去ったものの、その影響は今もなお続いている。
大砂土踏切跡の心霊現象
大砂土踏切跡で報告される心霊現象は以下の通りである。
- 幽霊バスの出現
- 線路沿いに現れる着物姿の老婆の霊
- 陸橋の階段付近での霊的気配
- 陸橋近くで聞こえる悲鳴のような音
上記の現象は、事故の犠牲者やその家族の霊が現れているとされている。
「幽霊バス」の目撃談は、この場所で最も恐れられている話のひとつである。
古びたボンネットバスが夜道を走り抜けるが、運転手も乗客もいないのに、バスだけが走行している。
そして、目撃者の目の前で突然消えるという。
このバスは、事故当時の悲劇を今もなお繰り返しているかのように思わせる。
さらに、踏切跡では着物姿の老婆が線路沿いに立っている姿を見たという証言も多く寄せられており、その姿は消えずに佇んでいるという。
また、陸橋の階段付近では、まるで誰かに見られているかのような強い視線を感じることがあるという。
特に夜間は不気味さが増し、霊的な存在を強く感じるという話が後を絶たない。
さらに、悲鳴やうめき声のような音が陸橋の下から聞こえてくることもあり、これも事故で亡くなった人々の無念が今も響いているかのようである。
大砂土踏切跡の心霊体験談
この場所を訪れた人々からは、様々な体験談が寄せられている。
ある人は、陸橋の下を通った際に誰かに見られているような気配を感じ、その場を離れることができなかったという。
また、子供が陸橋下で雨宿りをしていた際、突然の恐怖感に襲われ、走って逃げ出したという話もある。
この場所には、昼間でも重い雰囲気が漂っており、夜になるとさらにその不気味さが増す。
大砂土踏切跡の心霊考察
事故の発生から70年以上が経過しているが、この場所では今でも霊的な現象が多発している。
その理由は、事故当時の悲劇が非常に大きな影響を及ぼしており、多くの人々の悲しみや無念がこの場所に強く残っているためだと考えられる。
また、踏切がなくなったことで、事故の記憶が埋もれてしまったことが、霊たちをさらにこの場所に縛り付けているのかもしれない。
大砂土踏切跡は、単なる心霊スポットではなく、悲劇的な歴史を抱える場所であり、その背景を理解した上で、訪れる際には敬意を持って接することが求められる。
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