西之浜北児童遊園地に置かれた旧井笠鉄道の客車には、少年の霊が現れる、声が聞こえるといった不気味な噂が絶えない。この場所には交通事故で亡くなった者への慰霊の意味も込められており、その複雑な背景が怪異を呼び寄せているのかもしれない。今回は、西之浜北児童遊園地の客車にまつわるウワサの心霊話を紹介する。
西之浜北児童遊園地とは?

西之浜北児童遊園地は、笠岡駅から国道2号線を挟んで南西側に位置する小さな公園である。
昭和7年に製造され、井笠鉄道初の大型気動車として活躍した「ホジ9号」は、昭和42年にその役目を終え、この地に移設された。
公園内には、この旧井笠鉄道の客車を中心に、大きなすべり台や飛行機型の遊具、ブランコなどが並び、子どもたちの遊び場として親しまれている。
また、この場所は元・日本道路公団理事であった立神弘洋とその妻が交通事故で亡くなったことを受け、悲しみに暮れる遺族が交通安全を願って整備した公園でもある。
その経緯ゆえか、公園に掲げられた説明板はどこか慰霊碑のような趣を帯びており、周囲に不気味な空気を漂わせている。
西之浜北児童遊園地の心霊現象
西之浜北児童遊園地の客車の心霊現象は、
- 客車の車内や周辺で少年の霊が目撃される
- 誰もいないはずの車内から子供の笑い声や話し声が聞こえる
- 客車の座席に見知らぬ誰かが腰掛けている気配がする
- 公園の説明板が墓標のように見え、供養されているかのような錯覚に陥る
である。以下、これらの怪異について記述する。
この客車で最もよく語られるのは、白っぽい服を着た少年の霊が座席にちょこんと腰掛けている光景である。
遊びに来た子どもが何気なく客車に駆け込み、「知らないお兄ちゃんがいた」と話す例もあり、保護者を慌てさせたという。
また、夕暮れどきや雨の日に訪れると、客車内から複数の子供の声が聞こえてくるという証言がある。
歌うような声、誰かを呼ぶ声、意味のわからぬ小さな呟き。それらが車内に響き渡り、誰もいないことを確認した後ほど恐怖は強まる。
さらに、客車の座席に目を向けると、確かに誰かがそこに座っていたような気配だけが残ることがある。
シートがわずかに沈み込み、すぐに元に戻る様は、つい先ほどまでそこに「誰か」がいたことを物語っているかのようである。
公園入口にある説明板は交通安全の願いが込められたものだが、古びたその佇まいと、事故死者を偲ぶ背景を知る者には慰霊碑のように見え、供え物でもあればそのまま墓標に思えてしまう。
西之浜北児童遊園地の心霊体験談
ある家族が休日にこの公園を訪れた際の話である。子供たちが客車へ飛び込んで遊び始め、母親はベンチに腰掛けて見守っていた。
すると突然、客車の窓越しに青白い少年の顔がじっとこちらを見つめていたという。
慌てて客車に駆け寄ると、そこには誰もいなかった。
子供たちに問いただしても「誰もいなかったよ」と首を傾げるばかりであった。
また別の日、若いカップルが夜に肝試し半分でこの客車を訪れた。
すると、車内の奥から「遊ぼうよ」と呼びかける幼い声が聞こえたという。
恐ろしくなり逃げ帰った二人は、後日不思議な高熱にうなされ、しばらく寝込んだと語っている。
西之浜北児童遊園地の心霊考察
なぜこの客車にこれほどの怪異が集まるのか。
それはまず、昭和という長い時代を駆け抜けた鉄道車両が持つ記憶の重さにあるのではないか。
幾多の人々を乗せて移動し、笑い声や泣き声、別れや再会の思念を吸い込んできた空間である。
加えて、この公園が事故死者を悼む意味合いで整備されたことが、より強い「念」を呼び寄せる要因となっているとも考えられる。
無邪気に遊ぶ子供たちの声と、交通事故で奪われた命の哀しみが、この場所で交錯し、客車の中に小さな霊を引き寄せてしまったのかもしれない。
この客車は今も笠岡の片隅で静かに佇み続けている。
昼間は子供たちの笑い声が響くが、夜になると誰も寄りつかない理由は、そこで待っているものがいるからであろう。
興味本位で訪れる者は、無邪気な霊の誘いに決して気軽に応じない方が賢明である。
コメント