大阪府守口市にある浄土宗寺院・来迎寺には、江戸時代に現れたとされる女性の幽霊と、その足跡が残された座具にまつわる心霊のウワサが伝えられている。今回は、来迎寺にまつわるウワサの心霊話を紹介する。
来迎寺とは?

来迎寺(らいごうじ)は、大阪府守口市佐太中町にある浄土宗の寺院である。
山号や創建については諸説あるが、貞和3年(1347年)、大念仏寺七世・法明上人の弟子である実尊誠阿上人西願が、天筆如来を本尊として一宇を建立したのが始まりとされている。
その後、来迎寺は約335年の間に26回もの移転を繰り返したと伝えられている。
背景には、堂宇の維持が困難になった事情や、住職相続を複数家のくじ引きで決めていたことなどがあったとされる。
最終的に現在の地へ落ち着いたのは江戸時代後期である。
境内には鎌倉時代の「石造十三重塔」(大阪府指定有形文化財)や、樹齢500年以上ともいわれる保存林の松があり、静かながらも長い歴史を感じさせる空間となっている。
来迎寺の心霊現象
来迎寺の心霊現象は、
- 女性の幽霊が現れたという記録が残されている
- 幽霊が座具の上に足跡を残したと伝えられている
である。以下、これらの怪異について記述する。
来迎寺で語られる心霊現象の中心は、「幽霊の足跡」と呼ばれる座具である。
この足跡が残されたとされる出来事は、寛保3年(1743年)7月14日の夕刻に起きたと伝えられている。
当時、来迎寺の住職であった慈天上人が本堂で勤めをしていると、音もなく一人の女性が現れたという。
女性は自らを、江戸・小網町に住んでいた大工の妻「お石」であると名乗った。
お石は病弱のまま亡くなったが、夫は遊び好きで、臨終にも弔いにも来なかったという。
そのため未練を残し、成仏できずに彷徨っていると語った。
そして、かつて来迎寺の本尊・天筆如来が江戸で開帳された際に拝んだ縁があり、それを頼りにこの地まで辿り着いたと述べた。
慈天上人は幽霊であると悟りながらも恐れず、座具を敷き、共に念仏回向を行った。
回向が終わると、お石の表情は穏やかになり、未練が晴れたことを告げて姿を消したという。
その際、礼として座具に足跡を残した――それが現在に伝わる「幽霊の足跡」である。
来迎寺の心霊体験談
来迎寺を訪れた人の中には、法要の日に公開される幽霊の足跡を実際に目にしたという者もいる。
幼少期に地域の行事で座具を見た記憶が、今も鮮明に残っているという証言もあり、単なる噂話として片付けられない印象を受ける者も少なくない。
また、山門の天井付近に無数の子供の手形のような痕跡があると語られることや、本堂裏の池や小高い丘に、言いようのない気配を感じたという声もある。
ただし、強い恐怖を覚えたというよりも、「静かに見られているような感覚だった」と語られることが多い。
境内全体はよく手入れされ、昼間は穏やかな空気に包まれているが、その落ち着きがかえって異質に感じられるという体験談も見受けられる。
来迎寺の心霊考察
来迎寺の心霊話は、いわゆる怪奇現象というよりも、記録と信仰が積み重なって生まれた静かな怪異であると考えられる。
幽霊の足跡についても、恐怖を煽る話ではなく、念仏回向によって成仏へ導かれた結果として語り継がれている点が特徴的である。
一方で、日本の幽霊は足がないという定説がある中、「足跡が残る」という伝承は極めて異例であり、見る者に違和感と不安を残す。しかも、その品が現存し、公開されているという事実が、噂に現実味を与えている。
来迎寺が長い年月をかけて何度も移転し、多くの人の信仰や事情を受け入れてきた場所であることも、こうした話が定着した一因であろう。
この寺に伝わる心霊話は、恐怖よりも、人の未練や救いが形となって残った結果なのかもしれない。







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