累ヶ淵の怪談は、江戸時代初期の実際の出来事に基づく怪談であり、噺家や歌舞伎の演目としても知られている。この心霊話は二世代にわたる悲惨な殺害事件が背景にあるとされ、慶長17年(1612年)から寛文12年(1672年)にかけて語り継がれてきた怪異の物語である。今回は、累ヶ淵のウワサの心霊話を紹介する。
累ヶ淵とは?
累ヶ淵(かさねがふち)は、茨城県常総市羽生町にある法蔵寺裏手の鬼怒川沿岸に位置する。
この場所は、累(かさね)という女性の怨霊にまつわる事件が発生した場所として知られ、落語や歌舞伎などでも「真景累ヶ淵」として題材とされている。
ここで語られる累の怨霊伝説は、多くの怪談物語に影響を与え、民間で広く語り継がれてきた。
話は、下総国岡田郡羽生村に住む百姓の与右衛門とその後妻・お杉の家族にまつわるものである。
お杉の連れ子である助(すけ)は顔が醜く、足に障害があったため、義父である与右衛門に嫌われていた。
お杉は、夫との不仲を避けるため、助を鬼怒川に投げ捨てて殺害してしまう。
その翌年、お杉と与右衛門の間に生まれた娘・累は、助にそっくりであったことから村人から「助がかさねて生まれてきた」と言われ、「累(るい)」ではなく「かさね」と呼ばれるようになった。
累はやがて成長し、やがて流れ者の谷五郎を婿として迎えるが、谷五郎は累の容姿を疎ましく思い、彼女を殺して別の女性と一緒になることを計画する。
そしてある日、谷五郎は累を鬼怒川に突き落とし、残忍な方法で命を奪った。
累ヶ淵の心霊現象
累ヶ淵の心霊現象は、
- 助の姿が夜の川岸に現れる
- 夜になると「かさね」と叫ぶ声が響く
- 訪れる者が足を滑らせ川に落ちる
- 川辺に小さな光の玉が浮かぶ
といった話が伝えられている。累ヶ淵では夜になると「かさね」という声が川岸に響くことがあり、この声を聞いた人は帰り道で不幸に見舞われることが多いとされている。
また、累の母親によって川に投げ込まれた助の霊が、暗闇にぼんやりと浮かび上がると語られる。
特に満月の夜には川面に助の姿が映り、その影を見た者は祟りに遭うという言い伝えがある。
さらに、訪れる人々が足元をすくわれて川に引き込まれそうになる体験も報告されている。
ある若い男性は累ヶ淵に興味本位で訪れたが、急に足元を滑らされ、命の危険を感じたと語っている。
また、夜の川辺には小さな光の玉が行き来することがあり、これは助や累の霊魂が彷徨っている姿だと言われている。
累ヶ淵の心霊体験談
実際に累ヶ淵を訪れた人々は、奇妙な体験を語ることが多い。
例えば、深夜に訪れた若者が川の音に混じって「かさね」とささやく声を聞き、急に寒気を感じて帰路に着いたが、その後連続して不運に見舞われたと話している。
また、別の訪問者は川辺に光の玉を見た直後、体に重い感覚が襲って動けなくなったという。
また、法蔵寺にある累と助、菊の墓の前で異様な寒気を感じたという者もいる。
この場所では写真を撮ると心霊写真が写り込むこともあるとされており、多くの心霊愛好者が恐る恐る足を運んでいる。
累ヶ淵の心霊考察
累ヶ淵での心霊現象は、累の怨念が川に深く刻み込まれているからだと考えられている。
特に水場は霊を引き寄せやすいとされており、この場所に眠る累と助の霊が未だに成仏できていないのではないかと言われている。
累ヶ淵で体験される現象の多くが「助けてほしい」という累の無念の叫びであると考えられるが、現地では祐天上人が累や助を成仏させたとされている。
しかし、これほど多くの心霊現象が報告されるため、完全に霊が解脱していないのではないかとする声もある。
法蔵寺の裏手にある累や助、菊の墓は現在も地元の人々に供養され続けているが、訪れる人は軽い気持ちで近づくことを避け、深い敬意を払うべき場所である。
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