兵庫県の山間部、旧道に口を開ける短い隧道――それが「旧槻坂トンネル(槻坂隧道)」である。2005年に新槻坂トンネルが開通した後もしばらくは通行できたとされるが、現在はコンクリートなどで封鎖され、内部へ立ち入ることはできない。
本記事では、幽霊の存在を断定するものではない。語られている噂、体験談、そして「なぜこのトンネルが心霊スポットとして語られるようになったのか」を整理し、場所の空気感を観察するものである。
薄暗い旧隧道に、なぜ「追いかけてくる血まみれの女」という強烈な物語が結びついたのか。その背景を見ていく。
旧槻坂トンネルとは?

旧槻坂トンネルは、昭和30年に完成したとされる旧道側の隧道である。幅は約5.5mとされ、照明設備も乏しかった時代、車同士の離合は困難だったという語りが残る。隧道は短く、内部はほぼ直線。しかし前後の線形(カーブや見通し)が悪く、「曲がり切った先に急に口を開けている」ように感じられる構造が、初見では心理的な圧を生む。
2005年に新槻坂トンネルが開通して以降、旧隧道は役目を終えた。現在は両側とも封鎖され、侵入はできない状態である。封鎖の理由については「迷惑行為対策」「崩落の危険性」などが推測されている。
旧槻坂トンネルで語られている心霊現象
この場所で語られている主な噂は次のようなものである。
- トンネル内を走行すると、血まみれの女性が追いかけてくる
- 入口付近で白い服の女性が目撃される
- 周辺の雑木林で自殺や殺人事件があったという噂
- 旧隧道は事故が多く、それが“何か”と結びつけられた
中でも象徴的なのは、「追いかけてくる血まみれの女性」という話である。走行中という“逃げられない状況”と、背後から迫るイメージが結びつき、噂として強く拡散しやすい型を持っている。
旧槻坂トンネルが心霊スポットとされる理由
旧槻坂トンネルの噂が育ちやすい理由は、構造と環境にある。
第一に、旧隧道特有の圧迫感である。
狭い幅、暗さ、照明の乏しさ、壁面の傷み。内部のコンクリートが剥落していたという記述もあり、「安心できない場所」という印象が先に立つ。人は不安を感じる場所ほど、物語を欲しがる。
第二に、前後の見通しの悪さである。
隧道が短く直線であっても、入口へ至る道のカーブや死角が多いと、“何かが潜んでいそう”という感覚が生まれる。しかも車で通る場合、止まれない・戻れないという緊張が加わる。
第三に、封鎖という事実が不気味さを増幅する。
「なぜ完全に塞ぐ必要があったのか」という疑問は、もっとも手軽な想像(事件・事故・曰く)へ流れやすい。実際は崩落対策や不法侵入防止である可能性が高いが、封鎖は噂にとって最高の燃料になる。
心霊体験談・口コミ
口コミには、恐怖と否定が同居している。
- 高校時代に自転車で毎日通ったが、幽霊は見なかった(ただ冬の部活帰りは怖かった)
- 柵を越えて近くまで行ったら、片側がコンクリートで完全に塞がれていた(後日、反対側も塞がれていたと聞いた)
- 噂は知っているし、模様や雰囲気は怖い。安易に行くのはおすすめしない
- 封鎖理由は迷惑行為対策や崩落危険ではないかという指摘
- 不法侵入を自供する方が怖いというツッコミ
つまり、「何も起きなかった」という日常的な証言と、「雰囲気が怖い」「封鎖が不気味」という感情が、同じ場所に折り重なっている。
“追いかけてくる血まみれの女”はなぜ生まれるのか|場所から考える心霊考察
血まみれの女性、白装束の女性――これらは日本の怪談で繰り返し現れる“型”である。特にトンネルは、以下の条件が揃いやすい。
- 視界が狭い(見えない)
- 音が反響する(気配が増幅される)
- 逃げにくい(車・自転車は止まりづらい)
- 壁や天井の染み・剥落が“形”に見える
さらに旧槻坂トンネルは、老朽化や剥落といった“現実の危険”があったとされる。危険な場所ほど、人は理屈より先に「嫌な感じ」を受け取る。その感覚を説明するために、事故や事件の噂、そして追跡譚のような物語が後から貼り付いていく。
封鎖は、その物語に“公式感”を与える。結果として、心霊スポットとしての輪郭がより濃くなるのである。
まとめ
旧槻坂トンネルは、昭和30年完成の旧隧道であり、2005年の新トンネル開通後に役目を終え、現在は封鎖されている。狭さ、暗さ、見通しの悪さ、老朽化、そして封鎖という要素が揃い、「血まみれの女性が追いかけてくる」「白い服の女性が出る」といった噂が生まれやすい土壌を作ったと考えられる。
心霊現象の真偽は定かではない。だが、危険性(崩落や侵入事故)の方は現実の問題である。封鎖されている以上、近づくとしてもルールを守り、無理に立ち入らないのがよいだろう。そこは“噂の舞台”である前に、事故が起き得る場所である。






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