九州南部に位置する肥薩線の一角に、静かに佇むトンネルがある。名を「第二山ノ神トンネル」。鉄道マニアの間では知られているが、心霊スポットとしてはそれほど有名ではない。しかしその実態は、恐怖と悲劇に彩られた“封印された心霊地”であるという。今回は、第二山ノ神トンネルにまつわるウワサの心霊話を紹介する。
第二山ノ神トンネルとは?

第二山ノ神トンネルは、宮崎県えびの市と鹿児島県湧水町を結ぶ肥薩線の、真幸駅と吉松駅の間に位置する全長約650メートルの鉄道トンネルである。
トンネル周辺は急勾配かつS字カーブが続く難所であり、蒸気機関車時代には特に危険な区間とされた。
この地に名を刻む最大の惨事が発生したのは、第二次世界大戦の終戦直後である。
1945年8月22日、復員兵を多数乗せた列車がこのトンネル内で立ち往生、やがて後退を始め、線路を歩いていた乗客たちを次々と轢いた。
49名が無惨な最期を遂げ、その霊が今もなおトンネル内にとどまり続けているとされている。
第二山ノ神トンネルの心霊現象
第二山ノ神トンネルの心霊現象は、
- 男性の霊が現れる
- トンネル内で得体の知れない声が聞こえる
- 乗客の話に「返事をする」謎の存在がいる
- 悲劇の事故「肥薩線列車退行事故」の影が今なお残っている
である。以下、これらの怪異について記述する。
まず語らねばならないのは、現れる“男性の霊”の存在である。
目撃談によると、トンネル内をさまようように歩く軍服姿の男が確認されている。
その姿は乗務員でも乗客でもなく、誰ともすれ違わずにふっと消えるのだという。
彼は、終戦直後、故郷の土を目前にして命を落とした復員兵のひとりなのかもしれない。
また、走行中の列車内で、「誰も話していないのに、人の話し声がする」という報告が後を絶たない。
しかもその声は、まるで会話に割り込むかのようにタイミングよく返事を返してくることがある。
乗客が何気なく言葉を発した瞬間、背後から「うん」「そうだな」といった返答が返るのだ。
その声に心当たりのある者は誰ひとりいない。
そして、最も恐ろしいのは、かの「肥薩線列車退行事故」の記憶が、トンネル内に染みついているかのような雰囲気である。
現在でも、トンネル内を走行する観光列車の車内放送でこの事故の説明が行われるが、その際、乗客の中には「すすり泣く声が聞こえた」「列車の揺れ方が急に異常だった」と証言する者もいる。
第二山ノ神トンネルの心霊体験談
とある乗客が、観光列車「しんぺい号」に乗っていた際の体験である。
真幸駅を出発し、トンネルに差し掛かった頃、窓の外にふと目をやると、トンネル内の壁に手をついた“人影”が、列車と同じ速度で並走していたという。
その影は軍服姿のようにも見え、表情は窺えなかったが、視線だけは明らかにこちらを見ていたという。
同行していた家族も「何かいた」と証言しており、幻覚とは言い切れない。
また、別の男性は、真幸駅から吉松方面に向かう最中、列車内でふと「気分が悪い」と感じた。
やがて、誰かが耳元で「帰れ」と囁いたという。周囲に誰もいなかったにもかかわらず、確かに聞こえた声だった。以後、その男性は二度とその路線を使っていない。
第二山ノ神トンネルの心霊考察
第二山ノ神トンネルの心霊現象は、単なる都市伝説や作り話ではなく、実際に起きた大量死の事故を背景にした“歴史の呪縛”とも言えるものである。
復員兵たちは、長く続いた戦争の果てにようやく帰郷の機会を得ながら、目前で命を絶たれた。
49という数字に留まらぬ数の“思念”が、今なおトンネル内に染み込んでいる可能性は高い。
また、霊の目撃や声の存在は、事故現場に未練を残した魂が「まだ帰れない」と訴えている証拠かもしれない。
慰霊碑は建立され、毎年の慰霊も行われているとはいえ、個々の魂が完全に鎮まったかどうかは定かでない。
声が返ってくるという現象は、まるで霊が乗客の存在に気づき、交流を図っているかのようである。
もしくは、列車に乗る現代の人々に、自らの死の記憶を“伝えよう”としているのかもしれない。
かつて九州の大動脈と称された肥薩線の一角に、今もなお息づく“もう一つの歴史”。
第二山ノ神トンネルは、静かに、だが確かに、その存在を主張し続けているのである。
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