鹿児島県伊佐市にある絶景の観光地「曽木の滝」。その美しさの裏には、訪れた者にしかわからない不可解な現象や霊の目撃談が語り継がれている。今回は、曽木の滝にまつわるウワサの心霊話を紹介する。
曽木の滝とは?

曽木の滝(そぎのたき)は、鹿児島県伊佐市南部、川内川上流に位置する滝である。
「東洋のナイアガラ」とも称されるその景観は、高さ12メートル、幅210メートルにも及び、広大な岩盤の上を豪快に流れ落ちる様は圧巻である。
滝の周囲は「曽木の滝公園」として整備され、春には桜やツツジ、秋には紅葉が訪れる者の目を楽しませている。
また、昭和32年には歌人・柳原白蓮がこの地を訪れ、歌碑も残されている。
一方でこの場所には、過去から現在に至るまで、数多くの不可解な現象が報告されており、人知の及ばぬ存在を感じさせる場所としても知られている。
曽木の滝の心霊現象
曽木の滝の心霊現象は、
- 赤ん坊を抱いた女性の霊の目撃
- 鶴田ダムに向かう途中のカーブで霊の出現
- 滝付近で突然襲いかかる強烈な体調不良
- 神社での参拝による霊的解放
である。以下、これらの怪異について記述する。
曽木の滝周辺では、赤ん坊を抱いた女性の霊がたびたび目撃されている。
この霊は、単に赤ん坊を抱いているだけでなく、さらにもう一人の子どもを背負っていたという証言もある。
その姿は滝の流れに溶け込むように現れ、気づいたときにはすでに消えているという。
霊の目撃が特に多いのは、曽木の滝から鶴田ダム(大鶴湖)に向かう途中のカーブである。
急な曲がり角でふと視線を感じて見上げると、そこにはぼんやりと佇む女性の姿があり、目を逸らす間もなく霧のようにかき消えるとされる。
また、滝のすぐ近くに下りた者が、突如として言葉では言い表せないほどの不快感や吐き気に襲われるというケースも報告されている。
それはまるで、何か見えざる存在が取り憑いてきたかのような感覚であるという。
この不快感は、滝から少し離れた場所にある清水神社に参拝した直後に、まるで手のひらを返したように嘘のように消え去ったという報告がある。
この神社に祀られるのは、瀧津姫命という水の神であり、1000年以上の歴史を持つ。
どうやらこの神が、不浄なるものを浄化したとされている。
曽木の滝の心霊体験談
ある人物が、友人数人と曽木の滝を訪れたときのことである。
滝のすぐ近くまで足を運んだそのとき、彼は突然、言葉にできない異様な気分に襲われた。
吐き気でもめまいでもなく、何か異界からの干渉を感じさせるような重苦しい感覚であった。
しかしその場の空気を乱したくなかった彼は、それを口にせず、仲間とともに坂道を登り始めた。
だがその道中は、まるで全身に鉛を詰め込まれたように、ひと足ごとに精神が削られていくようであった。
やがて坂の途中に、ひっそりと佇む小さな神社「清水神社」に辿り着く。仲間が参拝を提案したときも、彼はただ早くこの場から離れたい一心であった。
しかし逃げるわけにもいかず、無理やり参拝に加わった。
すると――神社を出たその瞬間、それまでまとわりついていた不快感が突如として消え去り、空気が一変したのだ。
まるで何か重いものを背負っていた背中から、それが引き剥がされたかのようであった。
後に霊視のできる知人にこの話をしたところ、滝に彷徨っていた不浄霊を、その神社の神が取り除いてくれたのだという。
曽木の滝の心霊考察
曽木の滝にまつわる心霊現象は、単なる偶然の産物とは思えない要素を多分に含んでいる。
赤ん坊を抱いた女性という存在は、過去に何らかの事情でこの地に命を絶った母子の怨念が彷徨っていることを示唆している可能性がある。
また、滝の近くで体調不良に陥る現象は、地場の霊的波動が強いことを裏付けている。
水辺は霊が集まりやすいとされるが、ここはその中でも特に異常なエネルギーが渦巻く場所のようだ。
さらに、清水神社に参拝することで不調が治ったという証言は、この神域が滝に渦巻く霊的存在に対抗しうる「結界」の役割を果たしている可能性を示している。
滝と神社という水に関わる対極的な存在が、ある種の霊的均衡を保っているのかもしれない。
曽木の滝――その美しい外観の裏には、静かに、しかし確実に何かが蠢いているのである。
コメント