宮崎県延岡市にある竹谷神社は、かつて病を治す神として人々に崇敬されてきた一方で、女性の霊や兵士の霊が現れるという心霊のウワサも絶えない。今回は、竹谷神社にまつわるウワサの心霊話を紹介する。
竹谷神社とは?

竹谷(たけたに)神社は、宮崎県延岡市大峡町、可愛岳(えのだけ)南麓の深い谷間に鎮座する神社である。
創建は江戸時代・明和11年(1771年)とされ、ご祭神は天孫・邇邇芸命(ニニギノミコト)をはじめとした四柱である。
その由緒には、かつて大峡村の百姓・長左ヱ門が長年の病に苦しんでいた折、夢に白髪の神人が現れ、「我は邇邇芸命なり。
可愛岳の竹林の上にある六尺の大石に祈願すれば、病は平癒するであろう」と告げた逸話が伝わる。
実際に山へ分け入り、告げられた通りの大石を祀ったところ、長左ヱ門の病は瞬く間に癒えたとされる。
これを機に、竹谷神社は病気平癒の神として人々の崇敬を集め、遠方より多くの参詣者が訪れたという。
しかし、この神聖な地には、奇妙な噂がある。山奥にある参道と境内には、「霊が出る」との声が絶えないのである。
竹谷神社の心霊現象
竹谷神社の心霊現象は、
- 白い服を着た女性の霊が写る
- 境内や参道に兵士の霊が現れる
- 夜の参道で人の気配がする
- 写真に不自然な影や霧が写る
である。以下、これらの怪異について記述する。
まず、最も有名なのが「白い服を着た女性の霊」の目撃例である。
ある訪問者が、弟と共に参拝した際に偶然撮影した写真に、右上に白い服の女性がはっきりと写っていた。
現場で撮影した複数の写真と比較しても、それは確実に「その場に存在しなかった者」の姿だったという。
後にその写真が竹谷神社であると判明した際、撮影者は「ゾッとした」と語っている。
また、神社の参道や境内では「兵士の霊」が頻繁に目撃される。
彼らは軍服を着ており、朽ちた表情のまま山中を彷徨っている姿が報告されている。
この兵士の霊は、明治10年(1877年)の西南戦争に関連しているとされる。
敗走した薩軍が可愛岳を越えて薩摩に撤退する際、道半ばで力尽きた者たちの魂が今もこの地に残っている可能性があるのだ。
さらに、夜に神社を訪れると、誰もいないはずの参道で「すぐ後ろをついてくる足音」や「かすかな話し声」が聞こえたという証言もある。
不自然な霧や影が写真に写るなど、視覚的にも異常が確認されている。
竹谷神社の心霊体験談
ある人物が弟と共に参拝した際、無人の境内で何枚かの写真を撮影したという。
その中の一枚に、誰もいなかったはずの場所に「白い服を着た女性」が写っていた。
最初は気づかず、後に場所を確認してようやく「竹谷神社だった」と認識し、その瞬間に戦慄が走ったとのことである。
「何度見ても、そこには人が写っていないはずだった」
という言葉が、リアルな恐怖を物語っている。
竹谷神社の心霊考察
竹谷神社は、病気平癒や武運祈願の神として崇められた場であると同時に、人々の「強い願い」や「無念」が交錯する場所でもある。
特に西南戦争の敗兵が通ったという歴史的背景を持つ地であり、命を落とした者たちの無念がそのまま霊となって残っている可能性は否定できない。
また、神社の参道が人里離れた山中にあることも、心霊現象が頻発する一因であろう。
昼間でも薄暗く、夜ともなれば完全に闇に包まれるその道は、肉眼では見えぬ「何か」が息づいているかのようである。
白い服の女性の霊もまた、この地に強く結びついた存在であると考えられる。
病を抱えながら神に祈り、叶わなかった者の思念、あるいは大切な人を送り出し、帰らぬまま待ち続けた者の悲哀……。
竹谷神社は、そうした魂たちが今もなお佇み続ける場所なのである。
コメント