鳥取県東部にある立見峠には、古くから数々の不可解な現象が語り継がれている。戦国時代に自刃した若武者の怨霊、妖狐の化かし、そして写真に写る霊の影……静かな峠道の裏には、今なお人々を戦慄させるという。今回は、立見峠にまつわるウワサの心霊話を紹介する。
立見峠とは?

立見峠は、鳥取市本高と宮谷を結ぶ峠である。江戸時代には因幡国の高草郡と邑美郡を繋ぎ、鳥取から鹿野へ至る「鹿野往来」として栄えた交通の要衝であった。
現在もなお、当時の面影を残す山道がひっそりと息づいている。
この峠には、古くから人ならざる存在が棲みつき、人々を惑わし、恐怖へと誘う話が数多く残されている。
特に、江戸時代の女狐「おとん女郎」の伝説や、戦国時代に命を落とした若き武将・山名弥次郎の怨霊にまつわる逸話は、現代に至るまで多くの者を震え上がらせてきた。
立見峠の心霊現象
立見峠の心霊現象は、
- 心霊写真が撮れるという噂
- 戦国武将・山名弥次郎の怨霊が現れる
- 弥次郎の亡霊が風雨の夜に馬で峠を駆け抜ける
- 狐の霊・おとん女郎に化かされる
である。以下、これらの怪異について記述する。
心霊写真が撮れるという噂
立見峠周辺や、弥次郎を祀るために建てられた立見八幡(宮谷立見神社)では、写真を撮影すると異形の影や人の顔が写ると囁かれている。
中でも、夜間や霧の立ち込める時間帯に撮影した写真には、目を背けたくなるような表情の顔が複数現れることがあるという。
これらの写真は一部の心霊研究家の間でも「本物」とされ、現在も検証が続けられている。
戦国武将・山名弥次郎の怨霊が現れる
山名弥次郎は、裏切り者・武田高信を追撃する中で、立見峠において伏兵に囲まれ、退路を断たれた末、自刃した。
無念の死を遂げたその怨念は深く、成仏できぬまま、霊となってこの地に留まり続けている。
弥次郎の亡霊が風雨の夜に馬で峠を駆け抜ける
風が唸り、雨が地を打つ夜――峠を越える者の耳に、不気味な馬の足音と轡の響きがこだまする。
突然、黒馬に跨った具足姿の武者が、白い綾布を鉢巻に巻き、数間も宙を駆け抜けていく。
その姿は地を踏むことなく、まるで空を漂うかのように現れ、そして消える。
目撃した者は例外なく言葉を失い、数日間悪夢にうなされたという。
狐の霊・おとん女郎に化かされる
立見峠に住んでいたという女狐「おとん女郎」は、特に美しい若い女に化け、人を騙すことを好んだ。
夜道で出会うと、声をかけられ、いつの間にか幻の中に引きずり込まれる。
とある商人は風呂を勧められるままに入ったところ、実際は田んぼの肥壺に浸かっていた――という笑えぬ話も残る。
この女狐は今なお峠に潜み、通行人を化かしては、どこかへと引きずり込んでいるのかもしれない。
立見峠の心霊体験談
「夏の終わり、友人と2人で立見峠に夜のドライブへ行った。峠道に差しかかった時、突然カーステレオが雑音に変わり、ライトの光が滲むように揺らめいた。ふと助手席の窓に目をやると、具足を着た男が馬に乗って横切った。ありえない、あの距離は谷間だ。空を、馬が、走っていた。…友人も青ざめていた。私たちは声も出せず、ただ峠を必死に駆け下りた。」(鳥取市在住・30代女性)
立見峠の心霊考察
立見峠には、戦国武将・山名弥次郎の無念の死が刻まれた地としての因縁がある。
死してなお怨霊と化し、雨風の夜に亡霊として彷徨う彼の姿は、峠という地形の孤立性と相まって、見る者の精神に深く刻み込まれる。
また、女狐「おとん女郎」の伝承が、単なる昔話ではなく、具体的な体験談として現代にも語られていることは、妖怪譚と心霊現象の境界があいまいであることを示している。
峠とは本来、人と人を繋ぐ道である。
しかし、立見峠は人の命、記憶、そして魂すらも繋ぎとめて離さぬ異界の入り口であるのかもしれない。
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