三河島事故現場

鉄道史に残る悲劇、三河島事故の現場には、未だに数々の心霊現象が語り継がれている。事故当日の惨状を目の当たりにした人々の記憶は色褪せることなく、現場には今もなお、血まみれの霊や手足のない霊が現れるという話が絶えない。今回は、三河島事故現場のウワサの心霊話を紹介する。

三河島事故現場とは?

三河島事故(みかわしまじこ)は、昭和37年(1962年)5月3日、東京都荒川区の国鉄常磐線三河島駅構内で発生した重大な列車脱線多重衝突事故である。

これは「国鉄戦後五大事故」の一つに数えられている。

当日、貨物列車が赤信号を見落として進行し、安全側線に入ったが、砂利盛りに衝突して脱線した。

この脱線した貨物列車に、上野発の下り電車が激突し、衝撃で先頭車両が上り本線に飛び出した。

さらに、三河島駅を目指して線路を歩いていた乗客たちに対し、上野行きの上り電車が突っ込み、次々と衝突した。

この一連の多重衝突により、160名が命を落とし、296名が負傷するという未曾有の大惨事となった。

三河島事故現場の心霊現象

三河島事故現場の心霊現象は、

  • 血まみれの霊や手足のない霊が現れる
  • 事故現場で幽霊が徘徊している
  • 「遺体番号88」の霊が現れる

である。最終列車が事故現場に差し掛かると、線路内に血まみれの霊、手足がない霊などが次々と現れるという話が有名である。

昭和37年(1962年)5月3日、国鉄三河島駅から少し南の千住駅付近で貨物列車が脱線。

その直後、下り列車がその貨物列車に衝突し脱線。

乗客たちは三河島駅に向かって歩き始めたが、そこに上り列車が突進し、線路上を歩く人々を次々と轢き、さらに脱線した列車に激突した。

死者160人、負傷者296人という未曽有の大惨事となった。

この事故には一つの奇妙な出来事があった。

遺体の一つが数珠を握っており、状況から見てその遺体は事故とは無関係と推測された。

その遺体は「遺体番号88」と呼ばれ、身元不明のままだった。

ある人々はこう推測した。

ある男がこの場所で自殺し、その霊が列車事故を引き起こしたのではないか、と。

それから9年後のある夜、最終列車が事故現場に差し掛かると、線路内に無数の人影が浮かび上がった。

手足がないものや、首がないものばかり。

明らかに鉄道事故で亡くなった幽霊たちだった。

その中には「遺体番号88」の霊もいたと云われている。

今でも最終列車が通り過ぎた後に事故現場を訪れると、幽霊たちが彷徨っているのが見えるという。

彼らの無念の思いが、今なおこの地に留まり続けているのだろうか。

その答えは、闇の中に消えたままである。

三河島事故現場の場所・アクセス・地図

三河島事故現場の住所 日本、〒116-0014 東京都荒川区東日暮里3丁目14
交通アクセス 新宿区から靖国通り/都道302号 経由で29分
最寄りのバス停 三河島駅前(徒歩7分)平山通り/都道155号 経由
最寄り駅 三河島駅(徒歩7分)尾竹橋通り/都道313号 経由

三河島事故現場の地図(Googleマップ)

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