岡山県倉敷市にひっそりと保存されている大久保利通の馬車には、彼が暗殺されたときの血塗られた記憶が刻まれているという。今回は、大久保利通の馬車にまつわるウワサの心霊話を紹介する。
大久保利通の馬車とは?

大久保利通は、明治維新を成し遂げた維新三傑の一人である。
新政府の要職に就き、近代国家の礎を築いた。
しかし、その志半ばで1878年(明治11年)、明治天皇への謁見に向かう道中で暗殺された。
場所は紀尾井町清水谷、いわゆる「紀尾井坂の変」と呼ばれる事件である。
当時、大久保は英国製の高級馬車に乗っていた。
その馬車は血まみれとなりながらも処分されることなく、やがて遺族によって岡山県倉敷市の寺院・五流尊瀧院へ供養のため奉納された。
現在も同寺院の五流会館にてひっそりと保管されている。
この馬車は、戦前に供養に出されたため東京大空襲を逃れ、今なお現存しているのが不気味でならない。
見学は事前予約制で、普段は決して一般に晒されることのない異様な静寂の中に置かれている。
大久保利通の馬車の心霊現象
大久保利通の馬車の心霊現象は、
- 馬車のそばで苦悶の表情を浮かべた男性の霊が目撃される
- 馬車を直視すると、胸の奥に重苦しい痛みを感じる
- 馬車を見学した夜、寝床で何者かに首を押さえつけられる
- 馬車の前で写真を撮ろうとするとカメラが故障する
である。以下、これらの怪異について記述する。
馬車を保存する五流会館は、薄暗く湿り気を帯びた空気が常に漂っている。
目の前に現れる馬車は、保存状態こそ良好だが、どこか生気を吸い取るような禍々しさを感じさせる。
とりわけ有名なのは、馬車のそばで暗い顔をした男性の霊が現れる話である。
襟巻をし、何度も苦しそうに胸を押さえる姿を目撃した者は少なくない。
近づいて見ると、そこには血塗られた刀傷が幻のように浮かび上がることもあるという。
また、馬車を直視した際、胸を締め付けられるような痛みに襲われる人がいる。
これは、16か所も刀で斬りつけられ絶命した大久保利通の無念が、今なお乗り移ってくるからかもしれない。
さらに、見学を終えて家に戻った夜、寝ているときに突然首を押さえつけられ、息ができなくなる体験談が後を絶たない。
暗闇の中で必死に目を開けると、そこにはぼんやりと馬車の影が浮かんでいたという。
馬車の前で写真を撮ろうとすると、カメラのシャッターが下りなかったり、レンズが曇って奇妙なシミのようなものが写ることも珍しくない。
大久保利通の馬車の心霊体験談
実際に五流尊瀧院を訪れた男性の話である。
馬車を見学した際、突然背中に冷たい手が触れた感触があった。不審に思って振り返ったが、周囲には誰もいなかった。
以来、その男性は夜になると同じ場所を何度も夢に見ては、馬車のそばで顔を覆って泣く男の影を目撃し続けているという。
また、別の女性は、馬車の存在を目にした瞬間、心臓が一気に圧迫される感覚に襲われ、立っていられなくなった。
後日、撮影した馬車の写真を確認すると、窓の奥にこちらをじっと見つめる人影が写り込んでいたそうだ。
大久保利通の馬車の心霊考察
この馬車には、大久保利通の怨念ともいえる未練がこびりついているのだろう。
暗殺時、馬車の中で襲撃され、血しぶきをあげながら必死に助かろうとした苦悶が、そのままこの馬車に染みついてしまったに違いない。
供養のために寺へ奉納されたとはいえ、見る者の心を容赦なく締めつけるその気配は、まだ成仏しきれていない証なのかもしれない。
訪れた者が感じる身体の異常や不気味な現象は、死に際の苦痛を分かち合わされているのだとも考えられる。
この馬車を見学するには事前に寺へ予約しなければならず、それ自体が一種の結界のようにも思える。
軽い気持ちで訪れると、深夜にその代償を払わされることになるかもしれない。
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