山口県下関市菊川町にひっそりと佇む「交通安全観世音菩薩」。本来は交通安全を祈願して建てられた像であるが、その由来には不穏な噂がつきまとっている。深夜に現れる濡れた座席の女、黒く塗りつぶされた観音の顔、そして県内に点在する“3体の像”とのつながり——今回は、交通安全観世音菩薩にまつわるウワサの心霊話を紹介する。
交通安全観世音菩薩とは?

この観世音菩薩は、山口県下関市菊川町の田部エリア、国道沿いの高台に静かに佇む白い仏像である。
建立は昭和46年(1971年)7月と記録されており、正式には交通安全を祈念して建てられたものだという。
しかし、その由来に関しては、地元では「ある事故死した女性の霊を慰めるために有志が建てたものだ」という説も根強く残っている。
特に、像の顔だけが黒ずんでいること、視線の向きが不自然に思えることなどから、単なる慰霊や安全祈願以上の“異様さ”を感じる者も少なくない。
交通安全観世音菩薩の心霊現象
交通安全観世音菩薩の心霊現象は、
- 夜間、タクシーに一人の女性を乗せたが、後部座席には誰もおらず、シートだけがびっしょり濡れていた
- 溜池で亡くなったとされる女性の霊が、深夜に国道沿いで目撃される
- 近くを通った人が「顔の黒い観音像が笑った」と証言している
- 県内に点在する“3体のマリア像”のひとつであり、それらをすべて巡拝すると「とんでもないこと」が起きるという噂がある
である。以下、これらの怪異について記述する。
まず、この観音像にまつわる有名な怪異として語られるのが「消える女の客」の話である。
あるタクシー運転手が深夜、豊田町で一人の女性を乗せた。行き先を聞くと、彼女は静かに「田部の方まで」と言った。
運転手が田部エリアに到着し、「着きましたよ」と声をかけながら振り返ると、そこには誰もいなかった。
ただ、濡れた後部座席のシートだけが生々しく残っていたという。
この話には裏がある。地元の運転手仲間によれば、かつて田部周辺で交通事故を起こし、自責の念に駆られたある女性が近くの溜池に身を投げた事件があった。
濡れたシートの痕跡が示すように、タクシーに乗っていた“彼女”は、あの世から戻ってきたのかもしれない。
また、観音像の顔が異様に黒ずんでいることも特徴のひとつである。
近づいてよく見ると、白く塗られた像の中で顔の部分だけが塗装されていない、あるいは意図的に剥がされているようにも見える。
その様子はまるで“顔を失った者”のように見え、通る者に不気味な印象を与えている。
さらに、この観音像が向いている方向も妙である。
南を向いていると言われているが、よく見ると明らかに“国道の方”を見下ろしており、まるで誰かを監視しているような視線を感じさせる。
都市伝説としては、「山口県内に3体の“マリア像”が存在し、その全てを巡拝すると“とんでもないこと”が起こる」という噂も存在する。
そのうちの一体が、この交通安全観世音菩薩だという説もある。
交通安全観世音菩薩の心霊体験談
ある地元住民によれば、観音像は子どもの頃から存在していたという。
1975年ごろにはすでに国道沿いの高台にその姿があり、昼間であってもその顔の黒ずみや存在感が強烈で、近づくのを躊躇するほどだったという。
また、別の住民は、田部高校裏の高台にも類似した像があると語る。
それらの像が“ある一点”を見つめるように配置されているという話もあり、背後に何らかの意図や目的が隠されている可能性も否定できない。
交通安全観世音菩薩の心霊考察
この観音像が持つ不気味な雰囲気と、実際に起きた心霊現象には、いくつかの共通点がある。
ひとつは、“誰にも見取られずに亡くなった女性の霊”が、今もなお何かを訴えようとしているように感じられる点である。
タクシーに乗り込む霊、濡れた痕跡、そして黙して語らぬ黒い顔の仏像──それらが織り成す連鎖は、単なる偶然では説明がつかない。
また、「3体のマリア像」説との関連性も無視できない。偶像の向き、顔の状態、設置場所……それらの一致点は、まるで意図的に配置された“何かの封印”を想起させる。
この観音像の存在自体が、もしかすると人知れぬ罪や苦しみ、怨念といった“負の記憶”を封じ込めた装置なのではないか。
もし、あなたがこの場所を訪れるなら、決して像の顔を覗き込んではならない。
なぜなら、その視線の先には、未だ成仏できぬ“誰か”がいるのかもしれないからである。
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