徳島県つるぎ町にひっそりと眠る栂橋古戦場跡は、多くの人にその存在すら知られていない。しかし、一部の心霊愛好家の間では、不気味な気配が漂う場所として密かに語られている。今回は、栂橋古戦場跡にまつわるウワサの心霊話を紹介する。
栂橋古戦場跡とは?

栂橋古戦場跡は、徳島県美馬郡つるぎ町一宇に位置する。
天正13年(1585年)、豊臣秀吉に降伏した長宗我部軍は、阿波・讃岐・伊予から土佐へ撤退する途上でこの地を通過した。
阿波脇城主・長宗我部親吉は200名余の兵を率い、一字山の難所「猫戻り」へ向かった。
この道は猫すらも登ることを躊躇うとされ、戦場から逃げる者にとっては絶望の道でもあった。
しかし、その山道には親の仇である阿波久千田城主・小野寺備中守の息子、源六が待ち構えていた。
源六と郎党らは、栂橋に差し掛かった親吉らを弓・鉄砲、さらには岩石で猛攻。
親吉もその場で討ち取られ、長宗我部軍は壊滅した。
当時、この地には丸太の橋が架かり、下には貞光川が流れていたが、今は橋もなく、川のせせらぎだけが残る。
この古戦場近くには、戦死者を供養するためとされる塚や地蔵が建ち、さらに有名な「犬の墓」が存在する。
これは1676年、この地で猟師に首を落とされた犬が、なおも主を守るため大蛇に噛みつき、命を落としたという逸話を残すものである。
歴史と怨念が幾重にも折り重なった土地、それが栂橋古戦場跡である。
栂橋古戦場跡の心霊現象
栂橋古戦場跡の心霊現象は、
- 夜中に訪れると、背後からじっと見つめられるような視線を感じる
- 誰もいないはずの場所で、気配がまとわりつく
- カメラを向けると、心霊写真やオーブが写り込むことがある
である。以下、これらの怪異について記述する。
この場所で語られる怪異は、具体的な姿を現す霊の目撃談ではなく、もっと曖昧で、しかし確実に不気味なものである。
霊感がある者は足を踏み入れた瞬間から空気の変化を感じるという。
川沿いは昼でも薄暗く、風もないのに草木がざわめく。
誰もいないはずの空間で、微かな視線が背後から突き刺さるように感じられ、無意識に振り返ってしまう。
また、カメラを構えると、肉眼では見えない白い靄や光の球が映ることがあり、特に塚や犬の墓付近ではその頻度が高いとされる。
栂橋古戦場跡の心霊体験談
ある訪問者は、深夜に一人でカメラを構えた際、何もない川辺に向けてシャッターを切った。
現像してみると、そこには無数の光球と、鎧武者のような輪郭がぼんやりと浮かび上がっていたという。
「ただの偶然かもしれない」と笑っていた彼だが、帰宅後しばらくの間、夜になると同じ視線を自宅で感じるようになり、ついにはその写真を破り捨てたという。
栂橋古戦場跡の心霊考察
栂橋古戦場跡は、観光地として整備された有名心霊スポットではない。
そのため訪れる者も少なく、報告される現象はごく限られている。
しかし、かつての惨劇の現場であること、戦死者の霊を弔う塚や犬の墓が近接していることから、この地には強い残留思念が宿っている可能性が高い。
明確な害を及ぼす悪霊がいるわけではないが、「見られている」という感覚や、写真に映り込む不可解な光は、この地に足を踏み入れた者だけが知る“静かな恐怖”であるといえよう。
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