高松市藤塚町にある「ことでんのガード下」は、戦前から存在する狭い歩行者用トンネルである。1945年の高松空襲の際には避難場所となったが、収容しきれず多くの人々が焼死したと伝えられており、以来、夜になると焼け死んだ人々の霊が現れると噂されている。今回は、ことでんのガード下にまつわるウワサの心霊話を紹介する。
ことでんのガード下とは?

高松市藤塚町2丁目付近に存在する、高松琴平電気鉄道琴平線のガード下である。
正式な名称はなく、地域の人々からは「ガード下のトンネル」と呼ばれている。
通路は人や自転車がようやくすれ違える程度の狭さしかなく、昼間であっても内部は薄暗く湿っている。
その周囲は住宅街であり、近くには五叉路の交差点や駐車場、さらには保育園なども存在している。
最寄り駅はJR高徳線の栗林駅であり、徒歩圏内である。
このトンネルは戦前から存在しており、1945年7月4日の高松空襲の際には、避難場所として多くの人が押し寄せたと伝えられている。
しかし通路は狭く、実際に中へ逃げ込めた人はごくわずかであり、多くは入り口にすら近づけず、炎に呑まれて焼死したとされている。
そのため、この場所には空襲で命を落とした者たちの怨念が今も残っていると噂されている。
ことでんのガード下の心霊現象
ことでんのガード下の心霊現象は、
- 焼死した人の霊が出る
- 夜中、トンネルの内部から人の呻き声が聞こえる
- 焼け焦げた匂いが漂うことがある
- 誰もいないのに足音が背後からついてくる
- トンネル内で振り返ると、首のない人影が立っている
である。以下、これらの怪異について記述する。
まず、最もよく語られるのは「焼死した人の霊が出る」である。
その影響なのか、深夜にガード下を通った人々が、誰もいないにも関わらず苦しげな声を耳にしたという話がある。
まるで息を求めてもがくかのような声であり、背筋を凍らせる。
次に「焼け焦げた匂い」である。
夏の蒸し暑い夜であっても、突如として焦げた肉のような匂いが鼻を突き、思わず吐き気を催す人もいるという。
これは空襲で焼け死んだ人々の最期を物語っているかのようである。
さらに恐ろしいのは「足音」である。歩くたびに自分の後ろからもう一人分の足音が響くのだが、振り返ってもそこには誰もいない。
やがて、その足音は真後ろで止まるとされる。
そして最も忌まわしいのは「首のない人影」の目撃談である。
ガード下の中央で立ち尽くす黒い影があり、光に照らすと首から上が存在しない。
逃げようとしても足がすくみ、動けなかったという証言も残されている。
ことでんのガード下の心霊体験談
ある地元住民は、深夜に自転車でガード下を通った際、背後から明らかに誰かがついてくる足音を聞いたという。
振り返ると誰もおらず、再び走り出した瞬間、耳元で「逃げられない」という低い声がした。
恐怖に駆られて全力で駆け抜けたが、後日その人物は高松空襲で多くの死者が出たことを知り、背筋が凍りついたと語っている。
ことでんのガード下の心霊考察
ことでんのガード下は、単なる交通の通り道ではなく、過去に無数の命が途絶えた「戦争の記憶の場所」である。
空襲で焼け死んだ人々の怨念が、狭く暗い空間に染み付き、今なお現世を彷徨っているのだろう。
狭く閉ざされたトンネルは逃げ場のなさを想起させる。
そこに押し寄せた人々の恐怖と絶望が、空間そのものに刻み込まれていると考えられる。
呻き声や焦げ臭さ、そして姿なき人影は、単なる幻覚や錯覚で片付けられるものではなく、過去に確かに存在した「死者たちの声」である可能性が高い。
ことでんのガード下は、日常のすぐそばに潜む戦争の残響であり、決して軽い気持ちで立ち寄ってはならない場所なのかもしれない。
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