山中海軍病院地下壕跡は、戦争の痕跡を静かに語り継ぐ場所。その深遠なる過去には、亡くなった労働者の霊が時折現れるという不思議な話が残っているという。今回は、山中海軍病院地下壕跡(源氏山地下壕)のウワサの心霊話を紹介する。
山中海軍病院地下壕跡(源氏山地下壕)とは?
山中海軍病院地下壕跡は、山中海軍病院(現在の国立山中病院)が太平洋戦争中に避難所として掘り進めたものである。
この病院は昭和16年(1941年)に開設され、建設には地元の町民共同墓地や長寿寺が移転し、多くの人々の協力と努力があったそうだ。
戦況悪化に伴い、空襲の激化で病院は地下防空施設の建設に取り掛かった。
『源氏山地下壕』は、コンクリート造りで手術室や倉庫などの施設を備え、緊急避難や治療の場として機能した。
戦争の終結と共に温泉旅館も傷病兵の保養所として使用されていたが、昭和20年8月15日に終戦を迎える。
この地下壕の建設には、朝鮮人労働者が参加し、その厳しい労働状況が今も伝えられている。
病院の地下防空施設は全国的に稀であり、戦後半世紀を経ても保存状態が良好。
この地下壕は、戦争の歴史を静かに語るものとして、後世に『平和の遺産』として大切に伝えていきたい場所である。
山中海軍病院地下壕跡(源氏山地下壕)の心霊現象
山中海軍病院地下壕跡(源氏山地下壕)の心霊現象は、
- 作業中に亡くなった労働者の霊が出る
町の片隅にある山中海軍病院地下壕跡(源氏山地下壕)では、亡くなった労働者の霊が時折姿を現すというウワサが広まっている。
この壕は太平洋戦争中に、山中海軍病院の避難場所として掘り進められたもので、地下治療室として国内で初めて建設されたと云われている。
地下壕の建設には、朝鮮から集められた労働者が多く参加し、厳しい作業をこなしていた。
しかし、その中には作業中に事故に遭い、命を落とした者もいたという。
彼らの霊が今も壕の中に取り残されているとの言い伝えが残っているのである。
壕への入り口は2か所あり、墓地側の入り口は足場が悪いとのことだが、人々はその恐れからも関心を持ち続けている。
霊の話が人々の心に根付いたまま、静かにその存在を感じるこの地下壕は、戦争時代の遺産として今なお歴史を語り継いでいる。
月明かりの下で― 山中海軍病院地下壕の霊
町の辺りにある山中海軍病院地下壕跡(源氏山地下壕)で、霊の存在が伝えられていた。
太平洋戦争中、山中海軍病院の避難場所として掘り進められたこの壕には、亡くなった労働者たちの霊が現れるという。
美月は、地元の高校生で、その地下壕に興味を持っていた。
彼女は、学校の卒業論文のテーマとしてこの地下壕について調査していた。
そこで、彼女は壕が建設された当時の労働者たちの過酷な状況について詳しく知ることができた。
地元のおじいちゃんである篤司は、若かりし頃、この地で労働者として働いていた。
彼は、亡くなった仲間のことを覚えており、壕の中に霊が留まっているという話を口にすることもあった。
ある夜、美月と篤司は、山中海軍病院地下壕跡を訪れた。
月明かりが地下壕を照らし、入り口から薄暗い通路を進むと、静寂が広がった。
そして、亡くなった労働者たちの霊が何者かがそっと存在を感じさせるかのようだった。
彼らの存在が物語る、戦時下の悲劇と勇気、それは今もこの地下壕の奥深くに静かに息づいているのだろう。
山中海軍病院地下壕跡(源氏山地下壕)の場所・アクセス・地図
山中海軍病院地下壕跡(源氏山地下壕)の住所 | 日本、石川県加賀市 |
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交通アクセス | 金沢市から北陸自動車道 経由で1時間8分 |
最寄りのバス停 | ぬくもり診療所前(徒歩2分) |
最寄り駅 | 加賀温泉駅(徒歩2時間8分)国道364号 経由(車で18分) |
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