長崎県佐世保市の山中に存在した「矢峰の幽霊屋敷(跡地)」では、実際に未解決の凄惨な殺人事件が発生しており、母娘の霊が今も現れると語られている。今回は、矢峰の幽霊屋敷(跡地)にまつわるウワサの心霊話を紹介する。
矢峰の幽霊屋敷(跡地)とは?
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矢峰の幽霊屋敷(跡地)は、長崎県佐世保市矢峰町の山中にひっそりと佇んでいた民家の跡地である。
地元では「矢峰のツルハシ屋敷」や「矢峰の赤い家」とも呼ばれ、かつて実際に凄惨な殺人事件が起きた現場として知られている。
戦後、この家には果樹園を営む母娘とその父親の3人が暮らしていた。
しかしある日、父親が突然失踪し、残された母娘が細々と生活を続けていたという。
そして、昭和34(1959)年7月10日の深夜、突如としてこの家にツルハシを手にした強盗が押し入り、眠っていた母親を頭部と腹部に執拗に突き刺して殺害。
逃げ出した娘も裏手の竹藪まで逃げ延びたが、ついには追いつかれ、同じようにツルハシで惨殺された。
この事件は、炭鉱の隆盛により外部から多くの人が流入していた時代背景もあってか、犯人を特定することができず、ついには時効を迎えてしまった。
無念のうちに命を落とした母娘の霊は今もこの地に囚われているという。
矢峰の幽霊屋敷(跡地)の心霊現象
矢峰の幽霊屋敷(跡地)の心霊現象は、
- 母娘の霊が屋敷跡に現れる
- 竹藪の中から呻き声のような声が聞こえる
- 肝試しに訪れた者が精神を病む
- 慰霊碑が夜になると光る、というウワサがある
- 近くの湖で娘の霊が目撃される
である。以下、これらの怪異について記述する。
かつて屋敷があった場所には、事件の後、母娘の霊を目撃したという証言が相次いだ。
特に夜になると、真っ暗な竹藪の中から足音や呻き声のような音が聞こえてきたという話が絶えない。
ある住民は、月明かりの下で和服姿の女性が山中を彷徨う姿を見たと証言している。
また、肝試し感覚で屋敷に一晩泊まったという若い自衛官が、翌朝発狂してしまい、その後精神が回復しなかったという逸話も残っている。
この話は地元では長く語り継がれており、心霊スポットとして恐れられる所以となっている。
屋敷の解体後、跡地には3つの慰霊碑が建てられたが、現在では草木に埋もれ、見つけるのも困難な状態となっている。
特に右手の竹藪の奥、娘が最期を迎えた場所にひとつの祠があるが、それも長年の風雨にさらされて半ば土に還りつつある。
さらに奇妙なことに、この事件とは直接関係がないはずの近くの湖でも、娘の霊が出没するとの報告がある。
なぜそこに霊が現れるのかは謎のままである。
矢峰の幽霊屋敷(跡地)の心霊体験談
実際に屋敷跡地を訪れた者の話によれば、山の麓から狭い山道を登るにつれ、空気が急激に重くなり、耳鳴りのような感覚に襲われたという。
屋敷の入口にはかつて木製の門があったが、今は朽ちてその面影すら残っていない。
夜に訪れた者は、竹藪の中から「誰かに見られている」ような視線を感じ、足がすくんで動けなくなったと語っている。
朝になって再び訪れたときには、慰霊碑のうちふたつを確認できたが、三つ目のものは完全に土と草に埋もれていた。
とある目撃者は、かつてこの場所で、母と娘の霊が並んで立っている姿をはっきりと見たという。
目が合った瞬間、背筋を氷でなぞられたような戦慄が走り、思わずその場から逃げ出したそうだ。
矢峰の幽霊屋敷(跡地)の心霊考察
矢峰の幽霊屋敷(跡地)に残る心霊現象は、ただのウワサではない。
実際に未解決の惨殺事件があったという歴史的事実に根ざしており、霊の存在に現実味を持たせている。
ツルハシによる凄惨な殺害方法、逃げた娘が裏山の竹藪で追いつかれて命を絶たれたという悲劇、そしてそれを見てしまった人々の証言。
いずれも作り話では説明のつかない、生々しい怨念の気配を感じさせる。
また、祠や慰霊碑が草木に埋もれてしまっている現状も、霊が未だ成仏できずにいる理由のひとつかもしれない。
娘の霊が湖に現れる理由についても、成仏を果たせず魂がさまよっている証左ではないかと考えられる。
この場所を訪れる者は、軽い気持ちで足を踏み入れてはならない。
矢峰の幽霊屋敷(跡地)には、確かに「何か」が今も棲みついているのである。
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