国立下関病院は、かつて山口県下関市に存在していた医療施設であるが、廃墟となった後も数々の心霊現象が噂され続けてきた。深夜に灯る照明、窓越しに現れる霊、そして不可解な救急搬送の話──今回は、国立下関病院にまつわるウワサの心霊話を紹介する。
国立下関病院とは?

国立下関病院とは、かつて山口県下関市後田町に存在していた国立病院であり、その前身は明治24年、赤間関病院として下関要塞砲兵第4連隊内に創設された軍の医療施設であった。
明治27年、病院は現在の後田町へと移転し、以後「下関衛戍病院」「下関陸軍病院」と名を変えながら、戦時体制下で軍事医療の拠点として機能していた。
終戦後の昭和20年12月、厚生省へ移管され「旧国立下関病院」となり、一般市民向けの医療機関として再始動。
平成12年には国立山口病院と統合され「国立下関病院」として新たな歩みを始めたが、平成21年には施設の老朽化や医療機能の再編を理由に、現在の「関門医療センター」へと完全移転している。
しかし、移転後も後田町に残された旧施設は長らく放置され、誰も寄りつかない“廃墟の病院”として異様な存在感を放つようになった。
その場所は、かつて命の最前線であったがゆえに、多くの「死」が積み重なり、やがて“死者の静寂”が支配する舞台と化した。
いつしかこの廃墟では、深夜に灯る照明、無人の窓に浮かぶ影、そして不可解な救急搬送の噂など、数々の怪異が語られるようになった。
現在は解体され、跡地には「脳神経筋センター よしみず病院」が建設されているが、病院が廃墟となっていた時期には、数多くの心霊体験が語られていた場所でもある。
国立下関病院の心霊現象
国立市関病院の心霊現象は、
- 深夜0時を過ぎると病院内すべての照明が点灯しているのが外から見える
- 3階の病棟廊下に髪の長い女性と少女の霊が現れる
- 無人であるはずの駐車場に「満車」の看板が灯る
- 廃墟となったにも関わらず、救急車が搬送先としてこの病院に迷い込み、死亡事故が起きたという噂
- 通過するだけで気分が悪くなり、体調不良になる霊障の報告
- 赤子の泣き声、念仏の声、人面模様などが病室内で現れる現象
である。以下、これらの怪異について記述する。
閉鎖されたはずの病院で、真夜中0時を過ぎた頃、誰もいないはずの院内すべてに明かりが灯っていたという報告が後を絶たない。
病院名が書かれた看板すら点灯しており、あたかも通常通り診療を行っているかのような光景が目撃されていた。
県道を走る車の車窓からは、3階の病室廊下にて、髪の長い女性と小さな子供が並んで歩く姿が確認されたという証言がある。
人の気配など一切ないはずのその場所で、なぜ霊が現れるのか、今もなお謎に包まれている。
また、敷地内の駐車場には誰もいないにも関わらず、「満車」の電光表示が灯っていたという報告もある。
異常な状況に恐怖を感じ、足早にその場を去ったという者も少なくない。
さらに、廃墟となっていた時期に、救急搬送された患者がこの病院に誤って運び込まれ、助かるはずの命が失われたという噂もある。
病院関係者はそのような事実を否定しているが、「霊に呼ばれた」と語る者まで存在し、噂の真偽を超えた恐怖を物語っている。
廃墟を通過した人々の中には、肩が痛くなったり、急激な頭痛や吐き気を訴えるなどの霊障を受けたという体験談もある。
現地に足を運ぶこと自体がリスクであるとの声も多く、今なお“忌避される土地”として記憶されている。
国立下関病院の心霊体験談
ある女性は、集中治療室に入院していた際、昼夜問わず赤子の泣き声を聞き続けたという。
病室の扉には人の顔のような模様が浮かび、深夜にはどこからともなく念仏のような声が響いてきた。
一般病棟に移った後も、隣室からうめき声が聞こえるなど、終始落ち着くことのできない環境だったと語る。
また、幼少期に高熱でこの病院を訪れたという人物は、朦朧とする意識の中で、女の子が「おいでおいで」と手招きする姿を見たという。
同行していた母親が霊感のある人物であり、病院内の異様な空気に涙を流しそうになったという証言もある。
さらに、夜間に病院を訪れていたという女性の話では、同室の入院患者が夜中に廊下でストレッチャーの上に寝ている人物に声をかけたが無反応だったという。
その晩、その階の患者が亡くなっていたという事実が後から発覚した。
病院の前を通った市民の中には、窓が一枚だけ開いており、カーテンが風に揺れていたのを見て背筋が凍ったという人も存在する。
国立下関病院の心霊考察
国立下関病院は、かつて多数の患者が生死を彷徨い、また命を落としていった場所である。
病院という施設の性質上、死と隣り合わせの時間が長く積み重なった結果、「念」や「想い」が染み込むことは十分に考えられる。
照明が点灯し続ける、窓越しに霊の姿が見える、駐車場の不可解な点灯、これらはすべて、“今もなお病院が稼働し続けている”という亡者たちの執念の現れとも言えよう。
「亡くなったあとも自分が死んだことに気づいていない霊たちが、今もなお診察を待っているのではないか」との考察もある。
特に、救急搬送の途中で命を落とした者や、意識の朦朧とした中で最期を迎えた者にとって、この病院は“終の住処”となってしまったのかもしれない。
一部では「噂に過ぎない」と否定されることもあるが、体調不良を訴える人、現場で実際に異常を目撃した人の数は少なくない。
人々の記憶に深く刻まれたこの病院は、もはや物理的に存在していなくとも、「心霊スポット」として語り継がれていく運命にあるのかもしれない。
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