松山市星岡町に位置する星岡古戦場跡には、数多くの戦死者の霊が眠るとされ、今なお不気味な現象が語り継がれている。今回は、星岡古戦場跡にまつわるウワサの心霊話を紹介する。
星岡古戦場跡とは?

星岡古戦場跡は、鎌倉時代末期の元弘の変に端を発する戦いの舞台である。
1333年、幕府方の北条時直が伊予を制圧せんと兵を率いて侵攻したが、土居通増や得能通綱ら宮方の武士との激戦の末に敗北した。
その戦いは星岡山を中心に展開し、久米や小野一帯を巻き込んだ凄惨な合戦となった。
無数の武士がこの地に斃れ、星岡は血に染まった古戦場として長らく語り継がれてきた。
山頂には後に慰霊碑「星岡表忠之碑」が建立され、今もなお供養の場として残されているが、その地を訪れる者の間で不可解な現象が報告され続けている。
星岡古戦場跡の心霊現象
星岡古戦場跡の心霊現象は、
- 山頂の慰霊碑を撮影すると、女性の姿が写り込む
- 登山道の両脇に並ぶ無数のお地蔵が、夜になると不気味に見つめてくるように感じる
- 誰もいないはずの山道で、鎧を擦るような音や馬の嘶きが聞こえる
- 岡薬師堂付近で白い影が立ち尽くしているのを見たという証言
である。以下、これらの怪異について記述する。
星岡古戦場跡で最も有名なのは、山頂の慰霊碑を撮影した際に現れる「女の霊」である。
黒髪で顔の判別がつかないその女は、碑の脇や背後に立ち尽くして写り込み、写真を見返した者に強烈な不安感を残すといわれる。
登山道の両脇に並ぶ無数の石仏やお地蔵は、一見すれば供養のための静かな存在である。
しかし夜に訪れると、闇の中でその視線が追いかけてくるように感じる者が多い。
実際に、誰もいない山中で「ついて来る足音」を聞いたという証言もある。
また、かつての合戦を思わせる鎧の擦れる音や、馬の嘶きが聞こえるという怪異も報告されている。
これらは星岡山が戦場であったことを如実に物語っており、供養しきれなかった魂の叫びが残響しているかのようである。
さらに岡薬師堂周辺では、白い影のような存在が佇んでいたとの目撃談が複数ある。声をかけても応答はなく、近づくと忽然と消え去るといわれる。
星岡古戦場跡の心霊体験談
ある松山市在住の男性が夜に星岡古戦場を訪れた際の体験である。
慰霊碑の前で写真を撮ったところ、帰宅後その写真を確認すると、碑の横にぼんやりとした女性の姿が浮かび上がっていた。
顔は不鮮明であったが、長い髪が肩から垂れ下がり、こちらを凝視しているように見えたという。
その後、男性は数日間高熱にうなされ、再び星岡に近づくことはなかった。
星岡古戦場跡の心霊考察
星岡古戦場跡は、歴史的に見ても壮絶な戦いの舞台であり、数多の無念が地に染み込んでいる場所である。
登山道に並ぶお地蔵や山頂の慰霊碑は、そうした霊を鎮めるために建立されたものであるが、未だ鎮まりきらぬ魂が現世に影を落としているのかもしれない。
女性の霊がなぜ現れるのかは定かではないが、戦で夫や子を失い悲嘆に暮れた者の化身とも考えられる。
あるいは戦乱に巻き込まれ無念の死を遂げた女性そのものなのかもしれない。
星岡古戦場跡に響く音や影は、過去の惨劇が現在にまでこだましている証左であり、この地が単なる史跡ではなく「霊の集う場所」であることを示している。
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