福岡市南区の那珂川中流に位置する「老司井堰」には、夜な夜な人の気配や異音がするという話や、訪れた者が恐怖に駆られて逃げ出すという体験が報告されている。今回は、老司井堰にまつわるウワサの心霊話を紹介する。
老司井堰とは?

老司井堰は、福岡市南区老司字河原と警弥郷を結ぶ那珂川中流に設置された、長さ約90.8メートル・高さ2.2メートルの可動井堰である。
もともとは、農業用水を取り入れるための石積みの固定井堰として築かれていたが、昭和28年の集中豪雨によって一度崩壊。
その後、コンクリート製の井堰として再建され、昭和53年には可動堰としての整備が進められた。
堰の役目は、田畑に灌漑用水を供給するため、那珂川の流れをせき止めることにある。
取水された水は、左岸の老司川に七割、右岸の五十川溝に三割という割合で分配され、水門の開閉により精密に制御されている。
現在でも地域の農業・工業・生活用水として欠かせぬ存在であり、水利組合による厳密な管理が行われている。
なお、西公園の光雲神社境内に掲げられた案内板によれば、老司の堰は慶長5年(1600年)、黒田官兵衛・長政父子が福岡城(舞鶴城)築城の際に、天然の要害として活用された堅固な水防施設のひとつであったと記されている。
特に、周辺の三方向を山・海・川に囲まれたこの地は、防衛戦略上の重要拠点であり、堰を含む複数の自然地形が巧みに利用されていたという。
そして、こうした歴史の影には、老司井堰にまつわる不可解な噂も絶えない。
整備された堰の周囲では、白い服の人影の目撃、誰もいない場所から響く謎の足音、供養塔前で鳴り響く正体不明の音など、数多の心霊現象が語られている。
かつての戦略的水防施設が、今や霊的異界との境界であるかのような異様な空気をまとっているのである。
老司井堰の心霊現象
老司井堰の心霊現象は、
- 夜間、立ち入り禁止区域に白い服を着た人影が現れる
- 誰もいないはずの堰のほとりに人が立ち尽くしている
- 地蔵のあたりから「ガタン」という異音が響く
- 通行人が本能的な恐怖に駆られて逃げ出す
である。以下、これらの怪異について記述する。
老司井堰の周囲では、夜間になると奇怪な現象が頻発する。
とある証言によれば、夜に堰の横を通った際、立ち入り禁止区域に白いトレーナー姿の人物がぼんやりと立っていたという。
初めは人間だと思ったが、視線が合うこともなく、動きも感じられず、直感的に「この世の者ではない」と悟ったとされる。
恐怖に駆られ、正体を確かめることもなく逃げ出したという。
また、老司井堰の地蔵付近では、誰もいないにもかかわらず「ガタン」と金属が鳴るような音が響いたとの報告もある。
夜の闇に包まれた静寂の中で響く音は、何かの合図のようにも、あるいは警告のようにも感じられる。
さらに、真っ暗な中、川辺に「誰かが立っていた」という目撃談も複数存在する。
その姿ははっきりとは確認できないが、そこに「居てはならないもの」が立っているという圧迫感だけは強烈に伝わってくる。
目撃者は例外なくその場から逃げ出しており、心霊現象の一環と考えざるを得ない。
老司井堰の心霊体験談
「夜、真っ暗闇の中に人影が立っているのを見てしまいました。近づく気には到底なれず、そのまま逃げました。あそこは、何か“変なもの”がいます」
「深夜、老司井堰の横を通りかかったとき、地蔵のそばから“ガタン”という不気味な音が聞こえました。誰もいないのに……です」
いずれの体験者も、「気のせいでは済まされない何かがある」と証言している。
老司井堰の心霊考察
老司井堰が、なぜこれほどまでに数多くの怪異を引き寄せるのか。
その要因は幾つか考えられる。
まず、この地が平氏ゆかりの「神崎街道」に隣接しているという歴史的背景が挙げられる。
神崎街道は、合戦や処刑が行われたとも言われる場所であり、過去の怨念や未浄化の霊がさまよっていても不思議ではない。
さらに、老司井堰の建設史にも注目すべき点がある。
昭和28年の豪雨による崩壊、昭和53年の再建工事など、人の命が関わっていた可能性も否定できない。
堰という水辺の構造物は、元来“霊を引き寄せやすい場所”として知られており、夜間になるとその気配が濃くなるともいわれている。
そして何より、「川に引きずり込まれる」といった警告のような証言も存在している。
これは単なる比喩ではなく、実際に何かが人を呼び寄せ、取り込もうとしている証かもしれない。
老司井堰に足を踏み入れる者は、その場に潜む“目には見えぬ存在”の意志を、確かに感じるであろう。
夜間に近づくことは、強く、強く推奨できない。
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