神谷公園

北区立神谷公園は、東京都北区に位置する一見普通の公園。しかし、その静かな外観の裏には、戦争の悲劇とともに語り継がれる数々の心霊現象が隠されている。今回は、北区立神谷公園のウワサの心霊話を紹介する。

北区立神谷公園とは?

元々あった神谷小学校は、中学校と統合され、2024年に小中一貫校「都の北学園(仮)」となる予定である。

北区の神谷公園は超有名な心霊スポットであったが、その公園を取り壊し、隣接する小学校と中学校を統合して「都の北学園(仮)」が建設される。

景色が大きく変わっており、最初は場所を間違えたかと思ったが、公園の片隅にある心霊スポットの根拠となっている石碑は無事に見つけることができる。

神谷公園の歴史

1887年(明治20年)、丸の内に駐留していた工兵大隊が赤羽台(旧・王子区)に移転し、多くの軍事施設が建設された。

1930年頃(昭和5年)には、北区域は重化学工業を中心とする工業地帯に成長した。

そのため、北区は「軍都」と呼ばれるようになり、太平洋戦争末期には当然のように空襲の被害を受けた。

総務省の「北区における戦災の状況(東京都)」によると、計12回の空襲があり、500人を超える死者が出たとされている。

亡くなった人々の遺体は神谷公園に集められ、当地の僧侶たちが霊を慰めるために仮埋葬を行ったと云われている。

北区立神谷公園の心霊現象

北区立神谷公園の心霊現象は、

  • 奇妙な自殺や幼児の事故死が連続して発生
  • 何かに見られているような強烈な視線を感じる
  • 突然の寒気に襲われる
  • 街全体に漂う瘴気を感じる

である。北区立神谷公園は、昭和二十年八月十日に起きた大東亜戦争終戦直前の悲劇を秘めている。

B29約百機による東京都北区赤羽地区の軍事施設空襲爆撃。

その激しい爆撃の余波で命を落とした多くの人々の遺体が一時的にこの地に収容され、埋められた。

この地では、奇妙な自殺や幼児の事故死が続発し、その犠牲者の数は三十人を超えると伝えられている。

東京の中でも最恐の心霊スポットとされており、霊感の強い者は近づかない方が良いと警告されている。

北区立神谷公園に足を踏み入れると、何かに見られているような強烈な視線を感じ、突然の寒気に襲われることがある。

街全体には瘴気が漂い、その根元が北側から流れてくるような不気味な気配が感じられる。

この地に建つ大東亜戦争犠牲者慰霊記念碑は、人目につかない隠れた場所にひっそりと佇んでいる。

それゆえに、神谷公園は心霊スポットとして恐れられるようになったと云われている。

この場所に足を踏み入れる者は、戦争の悲劇と共に現れる不気味な現象に震え上がるだろう。

北区立神谷公園の地図(Googleマップ)

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