岩井山城跡(勧農城跡)は、戦国時代の激動を乗り越えた歴史的な城跡である。しかし、その地には、戦国の亡霊や災害の犠牲者の霊がさまようという恐ろしいウワサが絶えない。今回は、岩井山城跡(勧農城跡)のウワサの心霊話を紹介する。
岩井山城跡(勧農城跡)とは?
岩井山城跡(別名:勧農城)は、栃木県足利市岩井町に位置する中世の日本の城跡である。
渡良瀬川沿いの標高54.5メートル、比高20メートルの丘陵地に築かれた平山城で、城郭は東西250メートル、南北300メートルほどの広さを持つ。
最高地には本丸、その南側に二の丸、さらにその南東には三の丸が築かれていた。
この城は、室町時代後期に足利長尾氏の初代・景人によって築かれたと伝えられている。
当時、岩井山城は足利地方の防衛拠点として重要な役割を果たした。
特に、関東管領山内上杉家と扇谷上杉家が争った「長享の乱」では戦場となり、多くの血が流れたとされる。
また、城跡の北側を流れる渡良瀬川は、1947年(昭和22年)のカスリーン台風で堤防が決壊し、甚大な被害をもたらした場所としても知られる。
この災害により、岩井山の周辺には多くの犠牲者が流れ着き、現在もその供養のための慰霊碑が建てられている。
岩井山城跡(勧農城跡)の心霊現象
岩井山城跡(勧農城跡)の心霊現象は以下のようなものが報告されている。
- 深夜、武士たちの甲冑の音や足音が聞こえる
- 森の奥に現れる謎の人影
- 台風の犠牲者とされる「のっぺらぼう」の霊
- 冷たい視線や体感温度の急激な変化
これらの現象は、訪れた者たちを恐怖の底へと引きずり込む。
武士たちの甲冑の音や足音
最も多く報告されるのは、深夜に聞こえる甲冑の金属音や行進するような足音である。
これらの音は、山内上杉家と扇谷上杉家の戦いで命を落とした武士たちの霊が発していると言われる。
音の正体を確かめようとした者が森の奥へ向かうと、必ず迷い道に入るとされる。
森の奥に現れる人影
城跡の周囲の森では、時折、人のような影が目撃される。
この影は黒い輪郭を持ち、追いかけようとするとスッと消えるという。
目撃者の中には、その影を見た後に高熱にうなされるなど、体調を崩す者もいる。
台風犠牲者の「のっぺらぼう」の霊
カスリーン台風の犠牲者を供養する慰霊碑の付近では、顔のない「のっぺらぼう」の霊が目撃される。
これらの霊は夜間に突然現れ、静かに佇むが、近づくと消えてしまうという。
霊を目撃した人々の間では、この現象が台風犠牲者の無念を象徴していると言われている。
冷たい視線と温度の急激な変化
特に夜間、城跡を訪れると突然体感温度が下がり、誰かに見つめられているような感覚に襲われることがある。
この視線の主は見えないが、多くの訪問者がこの感覚を報告している。
岩井山城跡(勧農城跡)の心霊体験談
ある肝試しのグループが城跡を訪れた際の話である。
深夜に本丸跡を歩いていると、遠くから鎧の音が聞こえ、やがて森の中から人影が現れたという。
彼らは慌ててその場を離れたが、全員が帰宅後に高熱を発症し、しばらく不調が続いたとされる。
岩井山城跡(勧農城跡)の心霊考察
岩井山城跡で起こる心霊現象の多くは、戦乱の歴史やカスリーン台風の惨劇に由来している可能性が高い。
戦国時代の激しい戦闘で命を落とした武士たちの無念や、台風の犠牲者の苦しみが、この地に霊的な影響を及ぼしているのではないだろうか。
特に慰霊碑付近での霊の目撃談は、未だ成仏できない霊たちの存在を示唆している。
また、城跡全体に漂う異様な雰囲気は、過去の悲劇が蓄積された霊的エネルギーによるものかもしれない。
岩井山城跡(勧農城跡)は、歴史的価値の高い城跡であると同時に、数々の心霊現象が報告される恐怖のスポットでもある。
訪れる際には歴史を学び、慎重な態度で臨むべきだろう。
その地に秘められた過去の悲劇と向き合うことで、岩井山城跡の持つ深い意味を理解できるかもしれない。
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