栃木県壬生町にある「畳塚」は、伏見城で自刃した鳥居元忠の血染めの畳を埋めた場所として知られている。この地には心霊写真が撮れるという噂があり、歴史的背景とともに恐怖のウワサが語り継がれている。今回は、畳塚のウワサの心霊話を紹介する。
畳塚とは?
畳塚は、関ヶ原の戦いの前哨戦となった伏見城の戦いで討死した徳川家康の忠臣、鳥居元忠の血染めの畳を埋めた塚である。
元忠は徳川家康がまだ若き人質時代から仕えた側近であり、「三河武士の鑑」と称された人物である。
1600年(慶長5年)、元忠はわずか2000人余りの兵で西軍4万人を迎え撃ち、伏見城に籠城するも13日間の激戦の末に討死した。
彼の忠義を称賛した家康は、元忠が自刃した際に血に染まった畳を江戸城の伏見櫓に保管し、登城する諸大名にその忠誠心を知らしめた。
明治維新後、江戸城の明け渡しに伴い、この畳は元忠の子孫によって壬生の地に運ばれ、現在の畳塚に埋められた。
塚には記念碑が建立され、周囲は石垣で囲まれている。
精忠神社の裏手にある「畳塚」であり、精忠神社でも似た心霊現象が発生するとされている。
畳塚の心霊現象
畳塚で報告されている心霊現象は以下の通りである。
- 心霊写真が撮れるという噂
- 畳塚周辺で白い着物を纏った男性の幽霊の目撃
- 夜間の急激な寒気や異様な気配
- 背後に人の気配を感じる
これらの現象は、畳塚の背景にある元忠の壮絶な最期や、血染めの畳に纏わる歴史と関連しているとされている。
心霊写真が撮れるという噂
畳塚で写真を撮ると、不気味な影や光の反射が写り込むことがあるという。
特に夜間の撮影では、不自然な形状の影や人影が映り込むことが多く、これが心霊写真として恐れられている。
白い着物を纏った男性の幽霊の目撃
精忠神社の裏手にある畳塚周辺では、白い着物を纏った男性の姿が目撃されている。
彼の姿は塚の周囲を静かに歩いており、目撃者は「鳥居元忠その人ではないか」と囁く。
夜間の寒気や異様な気配
夜間に畳塚を訪れると、突如として冷たい風に襲われることがある。
さらに、空気が異様に重くなり、不安感が増すとの報告もある。
背後に人の気配を感じる
訪問者の多くが、背後に人の気配を感じると証言している。
振り返っても誰もおらず、ただ静寂だけが広がるというこの体験は、元忠の無念や忠義の念がこの地に残っているのではないかと思わせる。
畳塚の心霊体験談
ある高校生が畳塚で写真を撮影した際、不気味な顔のような影が写り込んだという。
この写真は後に「恐怖の心霊写真集」にも掲載された。
また、深夜に訪れた男性が畳塚の前で突然体が重くなり、立ち去るまで異様な緊張感に包まれたという体験談もある。
畳塚の心霊考察
畳塚にまつわる心霊現象は、血染めの畳に纏わる歴史的背景と深い関係があると考えられる。
鳥居元忠の壮絶な最期と忠義を示すエピソードは、その強い思念をこの地に残しているのかもしれない。
また、精忠神社の静寂な雰囲気と、歴史的な神秘性が訪問者の感覚を研ぎ澄まし、心霊現象を感じやすくさせている可能性もある。
さらに、畳塚の地に埋められた血染めの畳そのものが、元忠の忠義の象徴としてだけでなく、未練や無念の感情を吸収していると考えると、心霊写真や目撃情報が多いのも頷ける。
畳塚は、歴史的価値と心霊的恐怖が交錯する特異な場所である。
訪れる際は、その歴史を尊重し、元忠の忠義に思いを馳せながら慎重に行動することをお勧めする。
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