山形市に存在する霞城公園(山形城址)には、古より伝わる血なまぐさい逸話と、現代にまで続く奇怪な現象が語り継がれている。今回は、霞城公園(山形城址)にまつわるウワサの心霊話を紹介する。
霞城公園(山形城址)とは?

霞城公園(かじょうこうえん)は、山形県山形市の中心部に位置する都市公園であり、国の史跡に指定された「山形城跡」の主要部分を整備したものである。
その広さは約35.9ヘクタールに及び、市民の憩いの場として親しまれている。
元は南北朝時代から続く名門・最上氏の居城であり、戦国期には最上義光(もがみ よしあき)の手によって大規模に改修された堅城であった。
江戸期を経て、明治時代以降は山形歩兵第三十二連隊の駐屯地となり、第二次世界大戦の終戦まで多くの兵がここで暮らした。
戦後は敷地の多くが山形市に払い下げられ、文化施設やスポーツ施設を中心とする都市公園へと整備されたが、その静かな景観の裏には、数多くの血と死にまつわる凄惨な歴史が封じ込められている。
霞城公園(山形城址)の心霊現象
霞城公園(山形城址)で語られている主な心霊現象は、
- 武士の霊が出る
- 公園内に人影が現れる
- 血染めの桜にまつわる怪異
- 軍人による集団自殺者の霊が出る
である。以下、これらの怪異について記述する。
まず、もっとも有名な逸話が「血染めの桜」である。
かつて霞城公園の二の丸跡には一本の桜が立っており、それは“血染めの桜”と呼ばれていた。
戦国時代、最上義光が病を装って白鳥十郎長久を山形城に招き、和睦の名のもとに斬殺。さらにその家臣百余名までも惨殺し、遺体を北側の堀に投げ捨てたという。
その返り血を浴びた桜が、真紅に染まる花を咲かせたといい、後年「血染めの桜」として語り継がれたが、1957年(昭和32年)に枯れて倒壊した。
その因縁は、近代にも奇怪な影を落とす。戦時中、霞城公園には山形歩兵第三十二連隊が駐屯していたが、兵士の間で“鎧姿の武士が城内を歩いていた”という報告が相次いだ。
また、終戦直後には、複数の軍人が桜の木で集団首吊り自殺を図ったという噂が囁かれている。
近年でも、夜の公園内で突如現れる“ぼんやりとした人影”や、“空中に浮かぶ足音だけの徘徊”などが報告されており、自殺者の霊が成仏できずにさまよっているのではないかと恐れられている。
霞城公園(山形城址)の心霊体験談
「夜桜を見に一人で訪れた際、二の丸の堀沿いを歩いていたら、向こうから鎧を着た男がゆっくりと近づいてきた。近づくにつれ、その姿が霞のように薄れていき、目の前で跡形もなく消えた。何が起きたのか理解できず、その場から走って逃げた。」
「友人と夜の散歩中、突然友人が立ち止まり“後ろに誰かいる”と言い出した。振り返っても誰もいない。だが、明らかに足音だけが“ザッ、ザッ”と続いていた。」
このような体験談が、地元住民や訪問者の間で静かに広がっている。
霞城公園(山形城址)の心霊考察
霞城公園における心霊現象は、歴史的な背景と深く結びついていると考えられる。
戦国の裏切りと殺戮、武士たちの無念、そして戦争という時代の狂気。特に最上義光による白鳥長久一行の惨殺事件は、深い怨念を残したとされ、当時の死体が堀に捨てられたことから、水辺に霊が現れるという話にも信ぴょう性が感じられる。
また、軍人による集団自殺の噂が事実であれば、それは強い情念と自責の念に満ちた魂の集合体であり、公園という開放的な空間に閉じ込められたまま、今も静かに、しかし確実にその存在を主張し続けているのであろう。
「血染めの桜」という象徴的存在が消え去った今も、霞城公園には消えぬ歴史と、語り継がれるべき恐怖が根を張っている。
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