福岡市西区に位置する「生の松原(元寇防塁)」には、古代の戦いの歴史とともに、今なお語り継がれる数々の心霊現象が存在するという。今回は、生の松原(元寇防塁)にまつわるウワサの心霊話を紹介する。
生の松原(元寇防塁)とは?

福岡市西区に広がる「生の松原」は、博多湾に面した海岸沿いに位置し、クロマツを主体とした深く静かな松林が続く景勝地である。
その東側、十郎川の河口付近には、鎌倉時代に築かれた「元寇防塁」が今も残る。
この防塁は、文永11年(1274年)に元軍(蒙古軍)が襲来した「文永の役」の後、再来を警戒して建治2年(1276年)に鎌倉幕府の執権・北条時宗の命により築かれたものである。
全長20kmにも及ぶ石築地が博多湾沿いに築かれ、その一部が現在も「生の松原」「西新」「今津」の三ヶ所で見学可能である。
しかし、この歴史ある地は、ただの戦跡ではない。
松林の静けさの奥には、数多の霊がさまよう、異様な気配が漂っている。
生の松原(元寇防塁)の心霊現象
生の松原(元寇防塁)の心霊現象は、
- 男性の霊が出現する
- 昭和風の服装をした老婆と男の霊が松林の中を徘徊する
- 首吊り自殺の霊が現れる
- 水難事故で命を落とした者の霊が出没する
- 結核療養所の亡霊が現れる
- 線路付近で飛び込み自殺の霊が目撃される
である。以下、これらの怪異について記述する。
生の松原には、古来の怨念と、近代に至るまでの多くの死が折り重なっている。
まず、最も多く報告されているのが「男性の霊」である。
釣り人が突然姿を消し、数日後に水死体となって発見される事案が複数報告されている。
実際、2023年には無人の船が海岸に打ち上げられ、その持ち主であろう男性が海上で心肺停止の状態で発見された。
この一帯では、古くから釣り人の水難事故が絶えない。
また、松原の一角で夜に肝試しをしていた者が、「昭和初期の着物を着た老婆」と「昭和の郵便局員のような服を着た男」の半透明の霊を目撃している。
彼らは無言で松林の奥から現れ、ふらふらとこちらに歩いてきたという。
あまりの不気味さに、霊を見た者はしばらく声も出なかったと語っている。
さらに恐ろしいのは、昭和期に多発した首吊り自殺の名残である。
生の松原の松の枝には、今も夜中に首を吊った者の影がぶら下がっていると噂される。
とくに松林の奥に入ると、何かがこちらをじっと見ているような気配に襲われるという。
加えて、松原周辺にはかつて結核療養所が存在していたとされる。
その療養所で息を引き取った患者たちの霊が、静かに、しかし確かに漂っているのだという。
線路周辺も危険なスポットである。
下山門駅へと続く細い路地、その先の九大松林、さらには拾六町の202号線沿いに至るまで、飛び込み自殺が後を絶たない。
60年以上も前から、霊の目撃情報と共に、事故が続いている。
人通りの少ないその道で、誰かが背後に立っていたという報告も数多い。
ある者はこう語る――「ここは犬鳴峠よりもヤバい」。
生の松原(元寇防塁)の心霊体験談
「深夜、松原に入ったときのことだった。友人と二人、懐中電灯を片手に肝試しに行ったんだ。途中で、急に空気が重くなって、何も話せなくなった。ふと前を見ると、松の間から老婆が…そして、その隣に無表情の男。ゆっくりと、こっちに歩いてくる。足音はない。心臓の鼓動だけがやけに響いて、俺たちは逃げることしかできなかった。」
このような証言は、決して一件だけではない。深夜の松原での異常体験は後を絶たない。
生の松原(元寇防塁)の心霊考察
生の松原の恐ろしさは、ただ一時の怪談にとどまらない。
鎌倉時代の元寇防塁という歴史的な遺構に加え、水難事故、自殺、結核による死と、あまりにも多くの「死」が折り重なっている。
土地そのものが死を吸い込んでしまっているかのようだ。霊はその場に留まり、同じ場所を何度も彷徨う。
死者が語ることなき言葉を、静寂と闇の中で誰かが聞いている。
また、視えた者に共通するのは、「その後の不調」だという。
霊を見た数日後に、体調を崩す者、事故に遭う者までいる。
単なる目撃にとどまらず、何かが「憑いてくる」ことすらあるのかもしれない。
生の松原は、今も人々の憩いの場である一方で、絶対に足を踏み入れてはならない“もうひとつの顔”を持っている。
コメント